『吾妻鏡』によると、大事が起こる時には、吉兆にせよ、凶兆にせよ、鳩が現れるようです。
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~壇ノ浦の戦い~
1185年(元暦2年)4月21日、平家を壇ノ浦に滅ぼした後、鎮西で戦後処理に当たっていた梶原景時から鎌倉の源頼朝に手紙が届きます。
その中に・・・
壇ノ浦の戦いで平家一門の人たちが入水した時、源氏の屋形船の上には二羽の白鳩が現れたという報告がありました。
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~奥州征伐に使った源氏の白旗~
1189年(文治5年)7月8日、千葉常胤が頼朝に源氏の白旗を献上します。
先祖・源頼義の旗の寸法と同じで、上方に伊勢大神宮と八幡大菩薩、下方に相対する二羽の鳩の刺繍があったそうです。
その旗は鶴岡八幡宮で七日間の加持祈祷を受けたのだといいます。
源氏の白旗
(壺井八幡宮)
河内源氏の氏神・壺井八幡宮の宝物「源氏白旗」には「八幡大菩薩」の文字が書かれています。
そして、八の字は相対する二羽の鳩。
常胤が献上した旗の鳩もこのようなものだったのでしょうか・・・
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~二代将軍頼家の不運と鳩~
二代将軍の源頼家は、1203年(建仁3年)9月2日の比企能員の変後に出家させられ、9月29日には修禅寺に幽閉されました。
翌年7月18日には暗殺されてしまうのですが・・・
比企能員の変が起こる数カ月前から、鶴岡八幡宮では鳩が変死しています。
頼朝の時代は、めでたい事が起こる前ぶれのような形で鳩が登場しますが、頼朝の死後は、不吉の前ぶれのような形で鳩が登場します。
6月30日、鶴岡八幡宮の軒上に降りた一羽の鳩が、しばらくして落下して死んでいます。
7月4日、鶴岡八幡宮で三羽の鳩が食い争って一羽が死んでいます。
7月9日、鶴岡八幡宮の閼伽棚下に、頭のとれた鳩が死んでいました。
その後、頼家は病気となり、比企能員の変へと繋がっていきます。
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~三代将軍実朝の不運と鳩~
三代将軍の源実朝は、1219年(建保7年)1月27日に鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺されますが・・・
やはり鳩が登場します。
源頼茂が鶴岡八幡宮に参籠するのですが、夜経をあげているときに一瞬眠ってしまい、夢を見ます。
その夢は、頼茂の前に鳩が一羽。その隣には子どもが一人。
その子どもが鳩を杖でうち殺してしまったというもの。
翌朝、鶴岡八幡宮の庭には、本当に鳩が死んでいたのだとか・・・
暗殺される2日前の1月25日の出来事です。
そして、暗殺される1月27日、実朝は午後6時頃、雪の中を鶴岡八幡宮へと出発します。
南門を出るときには霊鳩が鳴きさえずっていたといいます。
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