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源実朝の歌と陸奥国塩竈

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「陸奥は いづくはあれど 塩釜の 浦こぐ舟の 綱手かなしも」 『古今和歌集』 にあるよみ人しらずの歌。 三代将軍 源実朝 は、この歌を本歌取りしてこう詠みました。 「世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも」 ( 『百人一首』 入選作) 源実朝歌碑 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 陸奥国の 塩竈 は、歌枕の地として知られた地。 紫式部 の 『源氏物語』 の主人公・ 光源氏 のモデルの一人とされる源融は、邸宅の 河原院 に塩竈の風景を模した庭園を造営したのだといわれています。 紫式部 も陸奥国の名所絵を見て一首詠んでいます。 そして 源実朝 はこう詠みました。 「しほがまの 浦の松風 かすむなり やそしまかけて 春や立つらん」 塩竈

鎌倉と桜:ビャクシンの代わりのソメイヨシノ

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建長寺 は、五代執権 北条時頼 が宋の 蘭渓道隆 を招いて開いた日本で初めての「禅専門道場」。 蘭渓道隆 は、宋から持ってきた ビャクシン の種を植えたのだといいます。 現在、山門前には ソメイヨシノ が植えられていますが、かつては六株の ビャクシン が植えられていたようです。 花まつり 4月8日は 花まつり 。 建長寺 では、 法堂 に花御堂が置かれ、一山の僧侶が集まって法会が行われます(降誕会)。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉原産の桜~ (京都で人気を集めた鎌倉桜) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉市の木~ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~桜の次はアジサイ~

鎌倉と桜:源頼朝が造った源平池

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1182年(寿永元年)、 源頼朝 は 鶴岡八幡宮 の弦巻田と呼ばれていた水田を池にします。 その池が 源平池 (源氏池と平家池)。 源平池の造営を担当したのは、 伊豆山権現 の専光房良暹と 大庭景義 。 専光房良暹は 箱根権現 の 行実 の弟子で、 石橋山の戦い で頼朝を助けた 梶原景時 の兄という説が・・・ 大庭景義 は 石橋山の戦い で頼朝を敗走させた 大庭景親 の兄。 現在の源平池は桜の名所。 1980年(昭和55年)に 鶴岡八幡宮 の創建800年を記念して開園した 神苑ぼたん庭園 では、桜の下で 春ぼたん が咲きます。 2024年の 春ぼたん は3月16日からの予定。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉原産の桜~ (京都で人気を集めた鎌倉桜) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉市の木~ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~桜の次はアジサイ~

鎌倉と桜:源頼朝が造った鎌倉の朱雀大路

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1182年(養和2年)、 源頼朝 は 北条政子 の安産祈願のため、 鶴岡八幡宮 の参道・ 若宮大路 を築きます。 若宮大路 は、 鶴岡八幡宮 を内裏に見立て、平安京の朱雀大路を模して造営されたのだといいます。 その参道の中央に一段高く造られたのが 段葛 。 造営にあたっては 頼朝 自らが陣頭指揮を取り、 北条時政 をはじめとする御家人達が土や石を運んだんだのだと伝えられています。 平安京 平安京の南の玄関口は 羅城門 。 羅城門 から北へ朱雀大路が 朱雀門 まで延び、朱雀門の先に 平安宮 (大内裏)がありました。 源頼朝 は、1159年(平治元年)の 平治の乱 で敗れるまで、京都に住んでいました。 鎌倉の朱雀大路 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 段葛 に桜の木が植えられたのは1918年(大正7年)頃。 2014年(平成26年)からの 整備工事 で桜の植え替えが行なわれ、2016年(平成28年)3月30日に 竣功 。 茨城・千葉・埼玉などから移植された樹齢5年程度の若い樹が鎌倉で初めて花を咲かせました。 2024年(令和6年)で9回目の開花となります。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉原産の桜~ (京都で人気を集めた鎌倉桜) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉市の木~ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~桜の次はアジサイ~