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12月 15, 2013の投稿を表示しています

初詣:鶴岡八幡宮の強運掴み矢とおみくじ

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強運掴み矢 鶴岡八幡宮 は、 源頼朝 をはじめ、各自時代の武将に尊崇されて「弓矢八幡」と呼ばれた神社。 1063年(康平6年)、 石清水八幡宮 を勧請して由比郷鶴岡に社殿( 由比若宮 )を建てた 源頼義 は、弓と矢を奉納しました。 御神宝 として伝えられている朱漆弓と黒漆矢がそれだといわれています。 授与される「強運掴み矢」は、玄関・居間などに置いて、出掛ける前に鏑をつかんで強運を祈るのだそうです。 1180年(治承4年)、鎌倉に入った 源頼朝 は、10月12日、由比郷鶴岡の 由比若宮 を小林郷北山の地へ遷座しました。 それが現在の 鶴岡八幡宮 です。 場所の選定にあたっては「おみくじ」を引いて決定したと『吾妻鏡』は伝えています。 鶴岡八幡宮 で「おみくじ」を引いて凶や大凶が出てしまったら・・・ 凶みくじ納め箱 「強運掴み矢」の下には「凶みくじ納め箱」が用意されています。 「強運掴み矢」を掴んで「おみくじ」を納めれば「凶」を「強」に変えることができます。 鶴岡八幡宮の初詣 新年の参拝 1月1日~4日 24時間(1月4日は午後9時まで) 1月5日以降 午前6時から午後9時まで ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉の初詣

京都三大門・・・南禅寺・知恩院・仁和寺

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南禅寺 の 三門 ・ 知恩院 の 三門 ・ 仁和寺 の 二王門 は京都三大門と呼ばれているそうです。 南禅寺三門 南禅寺 は 五山 の上に格付けされた格式の寺。 現在の 三門 は1628年(寛永5年)、藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した兵たちの菩提を弔うために寄進し建立されたもの。 石川五右衛門が楼上から京の都をながめて吐いた名台詞「絶景かな絶景かな」で知られています。 知恩院三門 知恩院 は浄土宗の総本山。 三門 は、1621年(元和7年)に建立された現存するわが国最大の二重門で国宝に指定されています。 仁和寺二王門 仁和寺 は、御室御所とも呼ばれ、皇子皇孫が門跡となった寺。 二王門 は、 南禅寺 の 三門 や 知恩院 の 三門 と同時期の建立ですが、その違いは禅宗様ではなく純和洋であること。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて!

京都五山・・・南禅寺・天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺

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五山とは禅宗寺院の格式を表したもので、鎌倉時代に北条氏によって制定されたのが始まりだといいます。 鎌倉幕府が定めた五山では、鎌倉の 建長寺 、 円覚寺 、 壽福寺 、 浄智寺 と京都の 建仁寺 が五山に列せられていたと考えられています。 その後、後醍醐天皇、足利尊氏、足利義詮が五山を定め、1386年(至徳3年)、足利義満によって最終的となる 京都五山 と 鎌倉五山 が決定されました。 五山之上 南禅寺 南禅寺 は、1291年(正応4年)の創建。五山の上に置かれ、禅宗寺院の中で最も格式の高い寺とされました。 第一位 天龍寺 天龍寺 は、1339年(暦応2年/延元4年)、 足利尊氏 が 後醍醐天皇 の菩提を弔うために大覚寺統の離宮であった亀山殿を寺に改めました。開山は 夢窓疎石 。 第二位 相国寺 相国寺 は、1382年(永徳2年)、足利義満が将軍家邸宅の「花の御所」の隣接地に創建しました。開山は 夢窓疎石 。 鹿苑寺 (金閣寺)や 慈照寺 (銀閣寺)は 相国寺 の塔頭。 第三位 建仁寺 建仁寺 は、我が国臨済宗の開祖 栄西 が開いた寺。開基は鎌倉幕府二代将軍 源頼家 。1202年(建仁2年)の創建。 第四位 東福寺 東福寺 は、1255年(建長7年)、藤原(九条)道家が、藤原氏の氏寺として創建。 東大寺 の「東」と 興福寺 の「福」をとって名付けられた寺です。 第五位 万寿寺 万寿寺は、1096年(永長元年)、白河天皇が皇女郁芳門院の菩提を弔うために六条内裏に建てた六条御堂を始まりとしています。 現在は 東福寺 の塔頭。 参考までに鎌倉五山は、 建長寺 、 円覚寺 、 壽福寺 、 浄智寺 、 浄妙寺 。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて!

初詣:日本三天神の荏柄天神社

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荏柄天神社 は、京都の 北野天満宮 、福岡の太宰府天満宮とともに日本三天神の一つ。 祭神は、学問の神様 「菅原道真」 。 荏柄天神社の初詣 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉の初詣

初詣:鎌倉宮の獅子頭

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鎌倉宮 は、悲運の最期を遂げた 後醍醐天皇 の皇子 護良親王 を祀る神社です。 鎌倉宮 の御守り「獅子頭」は、 護良親王 が戦のときに兜の中に獅子頭を入れて出陣したという故事から「厄除け・幸運招来のお守り」として伝えられています。 獅子頭お守り ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉の初詣