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9月 3, 2023の投稿を表示しています

2023日向薬師の麓に咲く彼岸花

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源頼朝 が 大姫 の病気回復を願って参詣した 日向薬師 の麓の里山に咲くヒガンバナ。 例年の見ごろは9月中旬から下旬ですが、今年は少し遅くなりそうです。 土日祝には、日向地区、洗水地区に臨時観光案内所が設置されます。 臨時観光案内所の設置は、開花状況によって変更される場合がありますのでご注意を。 頼朝 が歩いたという 日陰道 は土砂崩れの影響により通り抜けができません。 伊勢原駅からバスでお出かけください。 日向薬師 日向薬師 は薬師如来の霊場。 北条政子 も 源実朝 の正室・ 坊門姫 と参詣しています。 10月1日の 道灌まつり では、「北条政子日向薬師参詣行列」を見ることができます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉のヒガンバナ

2023鶴岡八幡宮例大祭~神幸祭・流鏑馬など~

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鶴岡八幡宮例大祭 は、1187年(文治3年)8月15日に 源頼朝 が放生会を催し、 流鏑馬 を奉納したのがそのはじまりとされています。 9月15日の 神幸祭 では、 本宮 の三基の神輿が 二の鳥居 まで渡御します。 9月16日には、 小笠原長清 を祖とする小笠原家に伝えられた 小笠原流流鏑馬 が奉仕されます。 流鏑馬の後には、 源頼朝 の挙兵を支えた 土肥実平 の 焼亡の舞 も。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

玉縄城と鎌倉再興を誓った北条早雲

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玉縄城址 玉縄城 は、1512年(永正9年)に 北条早雲 が三浦氏を攻略するために築いた城。 室町時代の鎌倉には、鎌倉府が置かれ、その長官は 鎌倉公方 と呼ばれていました。 しかし、1454年(享徳3年)の 享徳の乱 で鎌倉公方の足利成氏が鎌倉を追われると、 源頼朝 以来、武家の街として栄えてきた鎌倉も政治の中心から離れることになってしまいます。 荒廃した鎌倉を見た早雲は、 「枯るる樹にまた花の木を植ゑそへてもとの都になしてこそみめ」 と詠じ、鎌倉をもとの武家の都とすることを誓ったのだと伝えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2023龍口法難会~龍口寺のぼたもち供養~

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伝説によると・・・ 1271年(文永8年)9月12日、鎌倉幕府に捕らえられ、 龍ノ口刑場 に護送される 日蓮 の前に一人の老婆が現れます。 老婆は 日蓮 に「にぎり飯」を差し出しますが、 日蓮 は空腹と疲労のためか「にぎり飯」を落としてしまいます。 「にぎり飯」は砂だらけとなってしまいますが・・・ 日蓮 は、 「ありがたや、ごまのぼたもちじゃ」 といって喜んで食べたのだといいます。 そのため、 龍口寺 の 龍口法難会 は「ぼたもち供養」とも呼ばれ、法要では「ごまのぼたもち」が撒かれます。 龍口法難会 は9月11日~13日。 特に盛り上がりをみせるのは12日の夜。 龍口寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

東福寺塔頭南明院~徳川家康継室・朝日姫の菩提寺~

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1586年(天正14年)、 徳川家康 を臣従させるため、家康の正室(継室)とされた豊臣秀吉の妹・ 朝日姫 。 1590年(天正18年)正月14日、京都の 聚楽第 で死去(47歳)。 小田原征伐 が始まる直前だったため、喪を秘して 東福寺 に葬られたのだといいます。 塔頭の 南明院 は朝日姫の菩提寺。 東福寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

泰山府君と福禄寿

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人間の生死・寿命・官位および死後の審判を司るとされる中国道教の神・泰山府君。 日本では、慈覚大師の遺言により 赤山禅院 が創建され、延命・福徳の神:赤山大明神として祀られました。 泰山府君は、陰陽道で最高神とされ、 安倍晴明 は泰山府君祭によって重病の 三井寺 の僧侶を救ったのだといいます。 📎安倍晴明の占いと師弟を救った三井寺の泣不動 後鳥羽院にとりついた白面金毛九尾の狐の正体を見破ったのは、泰山府君祭を行った安倍泰成でした。 📎鎌倉地蔵の伝説 そして、泰山府君を人格化したのが幸福・高禄・長寿の徳を与えられた福禄寿神。 赤山禅院 の本尊・赤山大明神は、天では福禄寿神・地では泰山府君として、万物の命運を司るとされています。 室町時代になると七福神信仰が盛んになり、福禄寿も七人の福神の一人に数えられるようになります。 鎌倉では、 鶴岡八幡宮祭礼行列 ・ 山ノ内八雲神社祭礼行列 ・ 円覚寺弁財天祭礼行列 の面掛行列にも参加していました。 面掛行列 は、現在では 坂ノ下御霊神社 でのみ行われていますが、御霊神社の面掛行列にも福禄寿が参加します。 御霊神社の 面掛行列 は9月18日。