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9月 20, 2015の投稿を表示しています

2015江の島ハーバーフェスティバル(日程)

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海上保安庁のマスコット 「うーみん」 巡視艇「うみかぜ」 江の島ヨットハーバー (湘南港)は、1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックのヨット会場として整備されました。 2020年に開催される東京オリンピックでもセーリング会場となります。 江の島ヨットハーバー https://www.yoritomo-japan.com/enosima-harbor.htm 江の島 https://www.yoritomo-japan.com/enosima.htm

開山忌・・・無学祖元と円覚寺

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円覚寺 開山は中国・宋の禅僧・ 無学祖元 。 1279年(弘安2年)8月20日、八代執権・ 北条時宗 の招きによって来日し、 建長寺 の第五世住持となります。 時宗の師として幕府の御家人からも厚い信仰を受けました。 1281年(弘安4年)、二度目の 蒙古襲来 (元寇)に際しては、苦悩する時宗に「莫煩悩」(まくぼんのう)の三文字を与えます。 「迷うことなく信ずるところを行え」という意味であったといいます。 「蒙古の襲来は、大風が掃蕩してくれるので心配ない」という説明も加えられたともいいます。 師より「莫煩悩」の文字を受けた 時宗 は、元の襲来の報が入ると、 無学祖元 に「喝」(かつ)という言葉を告げて、自分の決意を示したと伝えられています。 円覚寺 円覚寺 は、元との戦いで犠牲となった者を敵味方なく供養するため 北条時宗 が創建しました。 白鷺池 総門 前の 白鷺池 は、祖元が来日したときに、白鷺に姿を変えた 鶴岡八幡宮 の神霊に導かれた場所だといわれています。 白鹿洞 白鹿洞 は、祖元の法話を聞くために集まった白鹿が出てきた穴と伝えられています。 円覚寺 の山号は「瑞鹿山」(ずいろくさん)には「めでたい鹿のお山」という意味があるそうです。 正続院 (開山塔) 1284年(弘安7年)4月4日、 時宗 が亡くなります(34歳)。 亡骸は 円覚寺 に葬られました( 佛日庵 )。 時宗 の三回忌から間もない1286年(弘安9年)9月3日、祖元も 建長寺 で示寂。 亡骸は 建長寺 に葬られ、建長寺には塔所として正続庵が創設されていましたが、1335年(建武2年)、後醍醐天皇の勅命により 円覚寺 に移されました。 開山忌 10月3日の 開山忌 では、 正続院 の 舎利殿 に一山の僧侶が集まり法会が行われます。 4年に一度の閏年には、 無学祖元 の坐像が輿に乗せられ境内を巡堂します。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 円覚寺 https://www.yoritomo-japan.com/page138engakuji.htm

坂東観音の巡礼古道~鎌倉~

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坂東観音三十三ヶ所の巡礼者が通ったという古道が、 報国寺 のある宅間ヶ谷から鎌倉・逗子ハイランドまでの間に残されています。 巡礼古道の金剛窟地蔵 かつて、第一番札所の 杉本寺 を出た巡礼者は、この道を使って第二番札所の 岩殿寺 へと向かったのだといいます。 庚申塔 短い区間しか残されていませんが、道端には庚申塔が並び、 巡礼古道 の面影がよく残された道です。 ・・・・・・・・・・・ 鎌倉の古道 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kodou-top.htm

鎌倉浄明寺の熊野神社~足利直義邸跡~

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浄明寺の鎮守・熊野神社。 この辺りは、 浄妙寺 の境内だった所。 足利尊氏 の弟・ 直義 の邸跡と伝えられ、直義創建の 大休寺 があったのだといいます。 熊野神社の創建年は不明のようですが、直義が大休寺を創建した頃に勧請されたのかもしれません。 そういえば・・・ 京都・ 神護寺 の「源頼朝像」は「実は足利直義像である」という説が有力になっているようで・・・。 神護寺:伝源頼朝像 (国宝) ・・・・・・・・・・・ 足利直義の大休寺跡 https://www.yoritomo-japan.com/page042daikyuji.htm 浄妙寺 https://www.yoritomo-japan.com/page042jyomyoji.htm

オクトーバーフェストKamakura2015(日程)

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ドイツの「オクトーバーフェスト」にならって開催されるビール祭りです。 各地の地ビール、鎌倉市内飲食店の出店、子供向けブースのテナント出店などのイベントがあります。 10月3日(土)12時~20時 10月4日(日)11時~19時 場所は鎌倉市役所駐車場 鎌倉ビール

鎌倉:浄妙寺の鎌足稲荷社の伝説

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鎌足稲荷社 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura042/jyomyoji-kamatari.htm 藤原鎌足が鹿島神宮に参詣する途中で鎌倉に宿泊したときのこと。 夢に現れた老人から「鎌槍をこの地に埋めれば天下はよく治まる」というお告げを受け、白狐に案内されて 浄妙寺 の裏山に所持していた鎌槍を埋めたのだといいます。 この「鎌槍」が「鎌倉」という地名の由来とも言われます。 鎌足稲荷社背後のやぐら ・・・・・・・・・・・ 浄妙寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page042jyomyoji.htm

足利貞氏と足利直義の墓・・・鎌倉:浄妙寺

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浄妙寺 は 源頼朝 の重臣・ 足利義兼 が創建した寺。 代々の足利氏の菩提所として栄えました。 足利貞氏の墓 貞氏は、室町幕府を開いた 足利尊氏 の父。 浄妙寺 の中興開基と伝えられています。 足利直義の墓 (延福寺跡) 足利直義 は尊氏の弟。 浄妙寺 境内の西北には 延福寺 があったといいます。 1352年(文和元年・正平7年)、 観応の擾乱 で尊氏に敗れた 直義 は、延福寺に幽閉された後、急死したと伝えられています。 延福寺跡 延福寺跡の竹林 ・・・・・・・・・・・ 浄妙寺 https://www.yoritomo-japan.com/page042jyomyoji.htm

鎌倉:浄妙寺の彼岸花2015/09/23

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浄妙寺 の 彼岸花 。 石窯ガーデンテラス 裏山散策路 ・・・・・・・・・・・ 鎌倉のヒガンバナ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/higanbana.htm