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12月 19, 2010の投稿を表示しています

スイセン・冬さくら・マンリョウ~瑞泉寺~

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スイセン 瑞泉寺 のスイセンは、かなり早い時期から咲き始めます。 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/zuisenji-suisen.htm 冬さくら 徳川光圀のお手植えとされる古木です。 3月から4月頃まで咲いているそうです。 マンリョウ 晩秋の「実もの」も 瑞泉寺 の自慢です。 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

明王院から瑞泉寺への古道

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十二所の 明王院 (五大堂)の裏山から、山の反対側の 瑞泉寺 まではハイキングコースで結ばれています。 途中に 「初め弁天」 と呼ばれる石の祠や、 大江広元墓 と伝えられている層塔があります。 明王院(五大堂) 1235年(嘉禎元年)、四代将軍 藤原頼経 によって創建されました。 五大明王を祀る壮大な寺院だったようですが、 江戸時代には不動明王像のみを残して焼失してしまいました。 現在は、本堂に鎌倉時代の不動明王像と、 江戸時代の四大明王像が安置されています。 https://www.yoritomo-japan.com/page042myooin.htm 明王院 横のこの道を行くとハイキングコースです。 天園ハイキングコース に通じていますので、 貝吹地蔵 ・ 獅子舞 ・ 百八やぐら ・ 覚園寺 ・ 十王岩 ・ 建長寺 などにも行くことができます。 この階段を上がると本格的なハイキングコースです。 上り終えると尾根道です。竹のトンネルもあります。 初め弁天 金沢方面から来た 江の島 詣の旅人が、 初めてお詣りする弁天さまだったということで、 初め弁天と呼ばれているそうです。 https://www.yoritomo-japan.com/page042hajime-benten.htm 分かれ道 初め弁天 から尾根道を進むと分かれ道があります。 左は山を上る道になりますが、ここを上ると 大江広元の墓 です。 気を付けないと見落としてしまいます。 特に 瑞泉寺 方面からの逆コースの場合は見落としがちです。 伝大江広元墓 江戸時代に毛利家の家老が大江広元墓を探しにきたそうです。 そのとき、村人に対して威張り散らしていたので、 腹を立てた村人が墓を隠してしまったという伝説が残されています。 https://www.yoritomo-japan.com/page042hajime-benten.htm 大江広元の層塔の奥のこの木の間を進んでもいいのですが、 少し険しい道を下りる必要があるので、 一度、分かれ道まで戻った方が無難です。 途中、このような景色を見ることが出来ます。 分かれ道 右が 天園ハイキングコース で 建長寺 へと通じています。 左は 瑞泉寺 への道です

鎌倉「冬紅葉」~瑞泉寺~

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鎌倉の 瑞泉寺 の紅葉は、毎年12月に入ってからが見頃です。 今日は、12月23日の天皇誕生日です。 どうかなぁ~と思いましたが、まだ見頃です。 新しくなった総門。 鎌倉:紅葉・黄葉の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/koyo-kamakura.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

江島霊迹建寺の碑~宋国伝来の古碑~

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この石碑は、1204年(元久元年)、 源実朝 が宋に使節を送った際に、慶仁禅師から贈られた石碑と伝えられています。 その使節の引率者が辺津宮を創建した良真だったと伝えられていますが、実際に使節が送られたのかどうかは定かではありません。 ※良真は、 鶴岡八幡宮 の供僧で、「 聖天島 の天女伝説」と「 蟇石 伝説」の僧です。 江島霊迹建寺の碑 横には「宋国伝来の古碑」の標札が建てられています。 伝説によると・・・ 源実朝 は12名の使節を宋国に送ったのだといいます。 その使節の引率役を務めたのが良真でした。 宋に渡った良真は、慶仁禅師に会い、江の島の地図を見せようとしたところ、 禅師は、 「東の名刹であることは聞かなくてもしっています。」 といって碑石をくださったそうです。 それが、現在辺津宮にあるこの石碑だということです。 聖天島 https://www.yoritomo-japan.com/enosima-shotensima.htm 蟇石と無熱池 https://www.yoritomo-japan.com/enosima-gama-munetu.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

慈悲上人良真の伝説2~蟇石(がまいし):江の島~

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江島神社 の入口で竜宮城を模して造られたという 瑞心門 の左側には、「蟇石」(がまいし)と呼ばれる岩があります(エスカー乗場の横の崖の上です。)。 慈悲上人と呼ばれた良真が、 江の島 で修行を積んでいると、蟇(がま)に修行の邪魔をされたので、一生懸命に祈ると蟇が石になってしまったという伝説が残されています。 ※蟇(がま)というのは「ヒキガエル」のことだと思います。 ※良真は、 聖天島 の天女伝説の僧です。 江島神社 の辺津宮を創建しました。 この岩が 蟇石 (がまいし)です。 「良真が法力念力で蟇を石に化した」と立札に書かれています。 蟇石の下にある池は 無熱池 (むねつち)と呼ばれています。 インド(天竺)に伝わる無熱池を真似たもので、 龍が住み、どんな日照りでも水が涸れたことがなかったと伝えられています。 参考までに・・・ 大船の 常楽寺 にも色天無熱池があって、 江の島弁財天に関係のある乙子童子の伝説が残されています。 聖天島 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/enosima-shotensima.htm 蟇石と無熱池 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/enosima-gama-munetu.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

慈悲上人良真の伝説1~聖天島(江の島)~

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神奈川県立女性センターの手前にある 聖天島 は、かつては、 江の島 とは海を隔てた別の島でした。しかし、関東大震災のときに海底が隆起して陸続きとなりました。 昭和39年には、 江の島 が東京オリンピックのヨットレースの会場となったことから、ヨットハーバー整備のために周辺の海が埋め立てられ、現在のように島の頭部のみが残される状態となったのだそうです。 最近は猫の島としても人気があるようで・・・。 聖天島 は「天女出現の伝説」で知られる島でした。 鶴岡八幡宮 の供僧で慈悲上人と呼ばれた良真は、 江の島 での修行中に、この島に天女が現れたのを見たといいます。 良真は、のちに 辺津宮 (江島神社)を創建します。 昔は、 辺津宮 に開山堂があって、そこに良真の木像が安置されていました。 今は、 聖天島 公園にある社にその木像が安置されています。 現在の 聖天島 は公園として整備されています。 聖天島 https://www.yoritomo-japan.com/enosima-shotensima.htm 蟇石と無熱池 https://www.yoritomo-japan.com/enosima-gama-munetu.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

鎌倉・江の島七福神

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七福神巡りは、江戸時代頃から新年の行事として人気を集めてきました。 鎌倉・江の島七福神 は、八箇所の寺社を巡拝します。 スタートを 浄智寺 か 江の島 にすると巡拝しやすいかと思います。 JR北鎌倉駅から浄智寺へ 浄智寺 https://www.yoritomo-japan.com/page138jyotiji.htm 浄智寺 の福神は、弥勒菩薩の別の姿といわれる布袋尊です。 境内にある洞窟に安置されています。 ★ 浄智寺の布袋尊~布袋和尚と弥勒菩薩~ 浄智寺から鶴岡八幡宮へ 歩いて移動できます。北鎌倉の禅寺を巡りながらでも、 ハイキングコースを利用しながらでも、 体力に合わせた方法で 鶴岡八幡宮 を目指します。 (バスも通っています。) 鶴岡八幡宮旗上弁財天社 https://www.yoritomo-japan.com/page041hataagebenzaiten.htm 源氏池 に浮かぶ島の一つにある 旗上弁財天社 は、その名のとおり弁財天をお祀りしていました。 しかし、弁財天は仏教の神ですので、 旗上弁財天社 は明治の神仏分離によって破壊されてしまいます。 現在の社は、昭和55年に復元されたものです。 現在も弁財天像は安置されていませんが、 鎌倉国宝館 に寄託されています。 ★ 良縁・縁結びの旗上弁財天社 鶴岡八幡宮から宝戒寺へ 鶴岡八幡宮 前の交差点を左に進めば突き当たりが宝戒寺です。 (参考:横大路  https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman.htm ) 宝戒寺 https://www.yoritomo-japan.com/page043hokaiji.htm 北条氏の館 跡だったという 宝戒寺 には毘沙門天が祀られています。 毘沙門天は多聞天とも呼ばれ、東西南北の四天王の一つとしても知られています。 宝戒寺から妙隆寺・本覚寺へ 宝戒寺 から 小町大路 を南下すれば 妙隆寺 と 本覚寺 があります。 妙隆寺 https://www.yoritomo-japan.com/page043myoryuji.htm 「鍋かむり日親」ゆかりの 妙隆寺 には