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1月 22, 2012の投稿を表示しています

良縁・縁結びの旗上弁財天社:鎌倉

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鶴岡八幡宮 の 源氏池 の島にある 旗上弁財天社 は、 琵琶橋 の辺りにあったものを 源頼朝 が遷したといわれています。 ( 北条政子 の創建という説もあるようですが・・・)。 頼朝 は、1180年(治承4年)に源氏再興の旗挙げをして、鎌倉に武家の都を創り上げました。 頼朝 が信仰した弁財天ということで、商運・家運の神として信仰され、近頃では良縁・縁結びの神として信仰されています。 ※ 鎌倉・江の島七福神 の一つです。 旗上弁財天社 旗上弁財天社 は、明治の神仏分離によって破壊されますが、昭和55年に文政年間の古図をもとに復元されています。 神仏分離では、安置されていた弁財天像も行方がわからなくなったようですが、関東大震災の修理のときに倉庫の中で見つかった弁財天像が存在します。 現在、 鎌倉国宝館 に寄託されている「裸弁財天」です。 この弁財天像がもともと 旗上弁財天社 に安置されていた像ではないかともいわれているようです。 木造弁才天坐像 1226年(文永3年)、舞楽師中原光氏が舞楽院に奉納した仏像。 裸形彫刻で「裸弁財天」として知られています。 国の重要文化財に指定されています。 姫石 社の後方に置かれた石。 「政子石」とも呼ばれる石で、夫婦円満と子宝の祈願石だということです。 鶴岡八幡宮 https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman.htm

見頃はまだ先・・・荏柄天神社の寒紅梅2012/01/27

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今年は梅の咲き始めがかなり遅くなっています。 ここ数年の例では見頃を迎えているはずの 荏柄天神社 の 「寒紅梅」 も、やっと数個の蕾が紅く膨らんだ程度です。 こちらは 「古代青軸」 。 見頃は、まだまだ先です。 鶴岡八幡宮 の 源氏池 畔の梅も、1月15日の 「左義長」 の頃から咲き始めていたのですが、今年はまだ咲いていないようです。 鎌倉:梅の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/ume-kamakura.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

実朝桜・・・鶴岡八幡宮

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昨年(平成23年)6月に、 鶴岡八幡宮 の 流鏑馬馬場 に植樹された「実朝桜」。 実朝桜 「実朝桜」は、秦野市で知られる「八重桜」。 隣には、静御前の伝説がのこる 「静桜」 が植えられています。 奉献 実朝桜 平成23年6月吉日 古都鎌倉を愛する会 秦野市実朝まつり実行委員会 「風さわぐをちの外山に雲晴れて桜にくもる春の夜の月」 源実朝  詠 秦野市の「実朝まつり実行委員会」は、毎年11月に行われる「実朝まつり」の企画・運営をしている組織なのだそうです。 秦野市にある 源実朝公御首塚 『吾妻鏡』によれば・・・ 1219年(建保7年)1月27日、 源実朝 は甥の公暁によって暗殺されました( 源実朝の暗殺 )。 公暁は、 実朝 の首を持って 三浦義村 邸に向かいますが、 義村 の命を受けた長尾定景によって討ち取られてしまいます。 ただ・・・、 実朝 の首は見つかりませんでした。 実朝 の亡骸は、首のないまま 勝長寿院 に葬られたといいます。 ★ 公暁と源実朝暗殺・・・源氏の滅亡 しかし・・・ 秦野市の伝えられている話では、 義村 の家臣武常晴は、 実朝 の首を拾い上げ、波多野氏を頼って葬ったのだといいます。 それに関連がありそうな伝説が鎌倉にも残されています。 龍寳寺 のある谷は、「七騎谷」と呼ばれています。 この「七騎谷」は、 実朝 の首を持った七騎の武士が「追手を逃れて逃げ込んだ谷」だからそう呼ばれるようになったのだといいます。 ★ 源実朝の首と七騎谷の伝説~鎌倉:龍寳寺~ 源実朝の五輪塔 首塚 に建てられたという木製の五輪塔です。 鎌倉国宝館 に寄託されています。 参考: 源実朝の木製五輪塔 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

杉本寺の十一面観音

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金沢街道から見上げる石段の上にある 杉本寺 は、 源頼朝 が鎌倉に武家の都を創る前の734年(天平6年)創建という古い寺です。 鎌倉で一番古い寺といわれています。 仁王門 安置されている仁王像は 運慶 作といわれています。 仁王門の先の苔の石段の上に十一面観音を祀った観音堂があります。 苔の石段 観音堂 731年(天平3年)、東国の旅をしていた行基が、この場所に十一面観音を安置したのが 杉本寺 のはじまりです。 本尊は、行基作の十一面観音、851年(仁寿元年)の慈覚作という十一面観音、寛和年間(985~987年)に花山天皇の発願によって恵心が彫ったという十一面観音の三体です。 ~「杉の本の観音」伝説~ ある日、寺の本堂が火事により焼失しますが、観音さまは自力で大杉のもとに避難したと伝えられ、「杉の本の観音」と呼ばれるようになったといいます。 (参考: 伝説の観音さまと四万六千日詣り ) ~下馬観音と覆面観音~ 行基作の観音さまは、寺の前を馬に乗ったまま通ると必ず落馬するので「下馬観音」と呼ばれていました。 大覚禅師( 蘭渓道隆 )が祈願して収まったようですが、その際に、袈裟で観音さまを覆ったことから「覆面観音」とも呼ばれたそうです。 (参考: 伝説の観音さまと四万六千日詣り ) 観音霊場 杉本寺 は、板東観音巡礼と 鎌倉観音巡礼 の一番札所。 六地蔵と身代地蔵 杉本寺 の背後には杉本城がありました。 六地蔵の横の身代地蔵は、 杉本義宗の代わりに矢に当たって、 血を流したというお地蔵さまです。 参考: 鎌倉最古の杉本寺と杉本城址 鐘楼 白山・熊野大権現 大蔵弁財天

鶴岡厄除大祈祷2012

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鶴岡八幡宮 で 節分 前の土日を含む3日間にわたって行われる 「鶴岡厄除大祈祷」 。 2012年は、1月27日(金)から29日(日)にかけて行われます。 (参考: 鶴岡厄除大祭2012(予定)・・・鶴岡八幡宮 ) 舞殿 (下拝殿)で祝詞が奏上されます。 そして、巫女による神楽舞の奉納です。 その後、 舞殿 横に設置された炉で「厄難札」が焼かれます。 厄除大祈祷 は、随時行われています。 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

土紋が施された如意輪観音・・・西御門:来迎寺

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西御門 の 来迎寺 は、1293年(正応6年)の鎌倉大地震で亡くなった村人の菩提を弔うために建てられたという時宗の寺です。 開山は、一向とも一遍ともいわれていますが定かではありません。 本堂に安置されている「如意輪観音」は、鎌倉地方独特の装飾技法 「土紋」 が施されたもので、神奈川県の重要文化財に指定されています。 木造彩色 如意輪観音半跏像 (南北朝時代 寄木造) もとは、 源頼朝 の 法華堂 に安置されていた像です。 『吾妻鑑』には、「 北条政子 が如意輪観音を念持仏としていた」という記録があることから、この像が 政子 の念持仏として信じられてきました。 しかし、その様式からは、南北朝時代の作と考えられますので、「 政子 の念持仏」という説はないということになります。 この如意輪観音には次のような伝説があります。 その昔、「由比の長者」と呼ばれた長者がいました。 長者には、可愛がっていた娘がいました。 ある日、娘が由比ヶ浜で遊んでいると大鷲が舞い降りてきて娘をさらっていってしまいます。 知らせを聞いた長者は、八方手を尽くして探しますが・・・ 見つかったのは娘の遺体でした。 長者は娘の供養のため、観音様の胎内に遺骨を納めたと伝えられています。 ※その遺骨は箱に収められて 来迎寺 に保管されているそうです。 来迎寺 かつて 西御門 には・・・ 太平寺 、報恩寺、保寿院など7つの寺があったといいます。 しかし、現在残っているのは 来迎寺 のみです。 ※来迎寺の如意輪観音は、 鎌倉観音巡礼 の第五番札所です。 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

江島神社中津宮のよくばり美人守~江の島~

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江島神社 の”中津宮限定”の「もっとキレイになりたい人」用のお守りです。 お守りチャーム 中津宮独自のマーク 弁天様の羽衣をイメージしたものです。 「よくばり美人守」にも付いています。 江島神社 :中津宮 祭神は市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)。 853年(仁寿3年)、慈覚(円仁)による創建と伝えられています。 1689年(元禄2年)に改築、 平成8年には全面的な改修が行われ、 元禄改修時の社殿が再現されています。 中津宮からは、 江の島ヨットハーバー と相模の海が見渡せます。 江の島 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/enosima.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html