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9月 17, 2023の投稿を表示しています

石山寺の源氏の間~紫式部が『源氏物語』を書き始めた部屋~

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源氏の間 石山寺 の本堂にある 「源氏の間」 は、 紫式部 が 『源氏物語』 を書き始めた部屋。 中秋の名月が琵琶湖に映る美しい景色を見た 紫式部 。 まずは、 光源氏 のモデルの一人・在原行平の須磨での日々を重ねあわせながら、 「須磨」・「明石」 の両巻から書き始めたのだとか。 石山寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

長安寺~藤原道長一族が参った関寺の霊跡~

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長安寺 は、関寺の霊跡にある寺。 長和年間(1012-1017)、荒廃していた関寺の復興を 恵心僧都源信 が発願し、弟子の延鏡が遂行。 再興の資材運搬は、 清水寺 から遣わされた一頭の牛が活躍。 その牛と結縁するために 藤原道長 ・ 源倫子 ・ 藤原頼通 ・藤原教通が参ったのだという。 境内にある巨大な石塔は、牛が葬られた地に 藤原頼通 が建てたと伝えられ、牛塔と呼ばれている。 長安寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

大津城~石田三成が生き曝しにされた城~

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大津城 は、1586年(天正14年)、羽柴秀吉が明智光秀の坂本城を廃城とし、浅野長政に築かせた城。 その後、増田長盛→新庄直頼→京極高次と城主が変わり、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いを迎える。 関ヶ原の戦いで京極高次は東軍に与して籠城。 15000で攻めかかる西軍を7日間も釘付けにしたのだという。 戦後、 徳川家康 が入城。 西軍の将・ 石田三成 は田中吉政に捕縛された後、 大津城 の家康のもとに連行され、生き曝しにされたのだと伝えられる。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

花山法皇が隠棲した花山院菩提寺

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花山院菩提寺 は、 花山法皇 が隠棲した地。 花山法皇 が西国観音霊場三十三ヶ所の中興の祖とされることから、霊場ゆかりの地として番外寺院となっている。 西国三十三所の御詠歌は、花山法皇が巡礼の際に木の短冊にしたためた和歌なのだとか。 菩提寺の御詠歌「有馬富士ふもとの霧は海に似て 波かときけば小野の松風」も 花山法皇 が詠んだ歌。 花山院菩提寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

花山天皇出家の寺:元慶寺

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元慶寺 は、 花山天皇 が出家した寺。 そのため、花山寺とも呼ばれ、花山法皇が西国観音霊場三十三ヶ所の中興の祖とされることから番外札所となっている。 花山天皇 は、984年(永観2年)に即位するが、翌年7月18日、寵愛していた女御の 藤原忯子 が死去すると、悲しみのあまりに出家を考えはじめる。 花山天皇に信任されていた 藤原義懐 と権勢を争っていた 藤原兼家 は、この機に、次女の 詮子 が産んだ懐仁親王を皇位につけるため画策。 蔵人として花山天皇に仕えていた三男・ 道兼 に出家を勧めさせる。 そして、986年( 寛和2年)6月23日、道兼に連れられて内裏を抜け出した 花山天皇 は 元慶寺 で出家したのだという。 元慶寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

如意寺と源氏物語~明石の巻~

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神戸市西区にある 如意寺 は、願西尼(安養尼)を中興開山とする寺。 紫式部 の 『源氏物語』 ~明石の巻~は、願西尼からの情報があって描かれたとう説がある。 願西尼は、 「宇治十帖」 に登場する横川僧都のモデルともいわれる 恵心僧都源信 の姉らしい。 如意寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆