鶴岡八幡宮は、河内源氏の棟梁源頼義が石清水八幡宮を由比郷に勧請したことに始まる社。
1180年(治承4年)、鎌倉に入った源頼朝は、由比郷にあった鶴岡八幡宮を小林郷に遷座。
1182年(養和2年)には、平安京の朱雀大路を模した若宮大路が造営され、頼朝の武家の都は鶴岡八幡宮を中心に整えられていきました。
朱雀大路のイメージ
平安京の朱雀大路は、羅城門から大内裏の正門・朱雀門まで真っすぐに通じていました。
若宮大路のイメージ
若宮大路は由比ヶ浜の一の鳥居から鶴岡八幡宮まで一直線に通じています。
頼朝は鶴岡八幡宮を内裏に見立てたのだといいます。
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かつての鶴岡八幡宮は「鶴岡八幡宮寺」という神仏習合の宗教施設でした。
最高責任者は別当と呼ばれ、源頼朝は初代別当に源氏にゆかりの深い園城寺の円暁を任命しています。
明治時代の神仏分離(廃仏毀釈)によって仏教施設はすべて撤去されましたが、当時は壮麗な仏教伽藍が広がっていました。
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「武門の神」として信仰を集めた鶴岡八幡宮では・・・
1186年(文治2年)、源義経の妾静御前が舞いました。
現在の舞殿は静御前が舞った若宮回廊跡に建てられています。
1187年(文治3年)には放生会が行われ、流鏑馬が奉納されています。
9月の例大祭は、この年の放生会を起源としています。
1191年(建久2年)、大火で鶴岡八幡宮は灰燼に帰してしまいますが、頼朝はすぐに再建し、改めて石清水八幡宮の神霊を迎える儀式を行っています。
それを再現したのが12月の御鎮座記念祭(御神楽)。
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