別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2026年11月9日月曜日

石清水八幡宮の大御神矢と鶴岡八幡宮の大破魔矢


源氏ゆかりの京都の石清水八幡宮と鎌倉の鶴岡八幡宮では・・・

新しい年に八幡大神の神威をいただき、邪気や災厄を払い、家内安全や一年の平安を願うため、本殿前に大きな矢が飾られます。

弓矢への強い信仰を正月に目に見える形で示す特別な正月飾りです。



石清水八幡宮に飾られるのは大御神矢。

石清水八幡宮で授与される「八幡御神矢」をモチーフとしたもので、「ジャンボ御神矢」という通称で親しまれています。

「八幡御神矢」は、単なる縁起物ではなく、八幡大神の霊力と御神徳がこもった破邪顕正・一発必中の霊験あらたかな御神札(お札)。

八幡御神矢が全国の神社で授与される破魔矢のルーツともいわれています。




鶴岡八幡宮に飾られるのは、源頼義が鎌倉に由比若宮を創建する際に石清水八幡宮から譲り受けたという「黒漆矢」に因んだ大破魔矢。

鶴岡八幡宮で授与される「破魔矢」も頼義の伝説に因むもので、厄を撃退して幸運を射止めるという意味が込められている縁起物。


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「八幡御神矢」や「破魔矢」と深く結びついている神事が新年の「御弓始」。

「御弓始」は、弓矢を使って邪気を払い、その年の天下泰平・五穀豊穣・開運を祈る儀式。

鶴岡八幡宮では1月5日に一年の無病息災や平穏を祈願する「除魔神事」が行われていますが、これは源頼朝が御所で催していた「御弓始」を起源としています。


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石清水八幡宮の御弓矢

紫宸殿の鳴弦

石清水八幡宮


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鶴岡八幡宮の破魔矢

源頼義奉納の朱漆弓・黒漆矢

除魔神事


鶴岡八幡宮


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鶴岡八幡宮 初詣特集

鎌倉初詣特集


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善光寺御開帳~次回は2027年(令和9年) 源頼朝も信仰した善光寺如来~



善光寺の御開帳は、数え年で7年に一度(6年に一度)。

前回は2022年(令和4年)でしたが、新型コロナウイルスの影響で1年遅れの開催だったため、次回は2027年(令和9年)となります。



善光寺御開帳


絶対秘仏の善光寺如来

信濃善光寺


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源頼朝の善光寺参詣

駒返り橋

源頼朝像と善光寺

木像源実朝坐像

甲斐善光寺


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2026年11月8日日曜日

武衛殿~鶴岡八幡宮の白旗神社~




鶴岡八幡宮の末社白旗神社は「武衛殿」とも呼ばれます。

掲げられている額は、幕末の島津藩の実質上の最高権力者・島津久光の筆。


なぜ「武衛殿」?

それは祭神の源頼朝が「右兵衛権佐」だったから。

「武衛」とは、天皇やその家族の近侍・護衛のための官庁「兵衛府」の唐名で、兵衛府には「左兵衛府」と「右兵衛府」がありました。

頼朝は1159年(平治元年)12月の平治の乱で一時「従五位下・右兵衛権佐」(うひょうえごんのすけ)に任じられます。

平清盛に敗れたことにより、わずか15日で解官されてしまいますが、1190年(建久元年)に「権大納言・右近衛大将」に任じられるまでは「前右兵衛権佐」であったことから御家人からは「佐殿」(すけどの)と呼ばれていました。


なぜ、島津久光が「武衛殿」の額を書いたのか?

それは、古くから島津家の初代当主の島津忠久が頼朝の御落胤という系図が伝えられてきたから。

島津家は頼朝の子孫を強調し、江戸時代には二十五代当主の重豪が頼朝の墓塔(源頼朝墓)を建てています。



白旗神社(武衛殿)


源頼朝墓

鶴岡八幡宮


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鶴岡八幡宮の紅葉

鎌倉の紅葉


鶴岡八幡宮 初詣特集

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2026年11月7日土曜日

豊臣秀吉の小田原征伐~小田原北条氏の滅亡~




小田原北条氏(後北条氏)の初代は北条早雲。

早雲が初めて持った城は駿河国の興国寺城(1487年(長享元年))。

1491年(延徳3年)には、伊豆国に進出して韮山城を居城とします。

韮山城を拠点に相模国へ進出した早雲は、1495年(明応4)、小田原城を奪取し、相模国を平定。

その後、北条氏は武蔵、下総、駿河にまで領土を拡げ、三代氏康の時代になると、小田原城は難攻不落の城と呼ばれるほどの城となります。

1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原征伐時には、城下町を囲む長さ9㎞の総構となっていましたが・・・。

7月5日、北条氏政・氏直父子が降伏。

7月11日には秀吉の命により北条氏政が切腹、当主の北条氏直は助命され紀伊国の高野山に追放されました(氏直は翌年病死しています。)。

この間、鎌倉の玉縄城、伊豆の韮山城が開城しています。


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秀吉が小田原城攻略のために築いたのが石垣山城。

築くのに約80日間を費やした城です。

よく「石垣山一夜城」と呼ばれますが、それは・・・

「小田原城からは見えないように築城され、完成してから周囲の木を伐採したので、一夜にして巨大な城が出現したように見えたから」

なのだそうです。

突然出現した石垣山城を見た小田原城の将兵は戦意を喪失したのだと言われています。


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小田原征伐


小田原城

石垣山一夜城


興国寺城

韮山城

玉縄城


一夜城まつり

戦国武将サミット

小田原北條五代祭り


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鶴岡八幡宮の丸山稲荷社




鶴岡八幡宮の丸山稲荷社は、鶴岡八幡宮が鎮座される以前からあったといわれている社。

2月の初午祭では、春の農作業開始の前に、豊作が祈願され、巫女の舞が奉納され、

11月の火焚祭では、五穀豊穣を感謝し、氏子の無病息災を祈る神事が執り行われ、「鎌倉神楽」が奉納されます。



丸山稲荷社


丸山稲荷社の初午祭

丸山稲荷社の火焚祭


鶴岡八幡宮


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鶴岡八幡宮の紅葉

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