別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2026年7月27日月曜日

地獄で火焚きをした地蔵尊の伝説~鎌倉覚園寺の黒地蔵~




覚園寺「木造地蔵菩薩立像」(国重文)は、「黒地蔵」・「火たき地蔵」と呼ばれている地蔵尊。


地獄では罪人を苦しめるための激しい猛火(業火)が絶えず燃え盛っているといいますが・・・

伝説によると・・・

覚園寺のお地蔵さまは、地獄に落ちた罪人たちの苦しみを少しでも和らげようと、自らが地獄へ赴き、鬼の役人に代わって地獄の火焚きをしまが、地獄の猛火を浴び続けたため、その体は黒くすすけてしまったのだとか。

そして、黒くなった地蔵尊は、何度美しく彩色を施しても、一晩のうちに元の黒いお姿に戻ってしまうのだと伝えられています。


毎年8月10日は、この慈悲深い黒地蔵の縁日

覚園寺は午前0時開門。

この日の功徳は無尽蔵なのだとか。



黒地蔵縁日


覚園寺


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鎌倉の夏

ぼんぼり祭

四万六千日

閻魔縁日


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六道まいり 京都の精霊迎え~六道珍皇寺~



六道珍皇寺は、恐ろしい姿をした閻魔大王像が安置されている寺。



あの世の入り口とされる「六道の辻」にあります。

「六道まいり」は、「迎え鐘」を地獄・冥途の閻魔庁まで響き渡らせて、先祖の霊(お精霊さん)を迎えるための行事。

毎年8月7日〜10日の4日間。
6:00~22:00



六道珍皇寺の鐘は鐘楼の穴から出された引き綱を引っ張って撞きます。



六道まいりでは、高野槇が売られていますが、お精霊さんは高野槇に宿って自宅に帰るのだとか。



六道まいり

六道珍皇寺


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鎌倉の夏

ぼんぼり祭

黒地蔵縁日

四万六千日

閻魔縁日


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2026年7月26日日曜日

鎌倉覚園寺の黒地蔵縁日~8月10日 深夜から響き渡る読経。~




覚園寺の「地蔵菩薩立像」は「黒地蔵」と呼ばれています。

地獄では、罪人が猛火による「責め苦」にあうそうです。

「黒地蔵」は、地獄で火に苦しんでいる者を見て、少しでも罪人の苦しみを和らげてあげようと、自らが獄卒(地獄の役人)となって火焚きを行いました。

そして、火を焚くうちに、その全身は黒く焦げてしまったのだといいます。

8月10日は、無尽蔵の御利益が得られるという黒地蔵の縁日

深夜0時から開門され、正午頃まで境内には絶え間ない読経が響き渡ります。



黒地蔵縁日


覚園寺


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弦巻田を放生池にした源頼朝~鶴岡八幡宮源平池~


『吾妻鏡』によると、1182年(養和2年)4月24日、源頼朝鶴岡八幡宮の周辺にあった「絃巻田」という水田を池としています。


弦巻田

「絃巻田」は、神へ捧げる為の米を栽培する斎田で、苗を渦巻き状に植える水田と考えられています(諸説あり)。

もしかすると、源頼義が由比郷に建てた由比若宮の神に供える米を栽培していた可能性も。


源平池 紅白の蓮と島


頼朝は造営したのは、「捕らえた魚や鳥などの生き物を殺さずに自然の川や池に放す」という仏教の教えである「放生」や「放生会」を行うための放生池です。

生き物を放つ行為は、自らの罪を清め、功徳(善い行い)を積むためのもの。

頼朝は、1180年(治承4年)に由比若宮を現在地に遷座していますが、戦による戦死者の供養と源氏の繁栄を祈願するため、わざわざ神の水が湧く地を選んだのかもしれません。

そして、1187年(文治3年)には、大規模な放生会を催しています。

この放生会が現在の鶴岡八幡宮例大祭の起源といわれています。



鶴岡八幡宮の源氏池と平家池

鶴岡八幡宮例大祭


鶴岡八幡宮


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鶴岡八幡宮の太鼓橋~赤橋と呼ばれていた橋~




鶴岡八幡宮太鼓橋は、1182年(養和2年)に源頼朝が放生池(源平池)を造営した際に架けられたと考えられています。

現在の太鼓橋は、橋脚・橋桁が鉄筋コンクリート製、橋床版・欄干が石製ですが、頼朝が架けた当時は朱塗りの木橋だったようです。

そのため「赤橋」と呼ばれていました。

北条氏の庶流「赤橋流」の苗字は、この赤橋の近くに屋敷があったことに由来しています。



鶴岡八幡宮の太鼓橋

鶴岡八幡宮の源氏池と平家池


鶴岡八幡宮


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2026年7月25日土曜日

源頼朝の鶴岡八幡宮参道~頼朝の都市計画~




1182年(養和2年)、源頼朝に造営された鶴岡八幡宮の参道「若宮大路」は、平安京の朱雀大路を模したものだったと言われています。

朱雀大路は船岡山を測量基準点として真南に引かれた道で、その上に大極殿羅城門が配置されました。

若宮大路鶴岡八幡宮の北の十王岩(正確には近くの岩塊)を測量基準点として引かれた道と考えられています。

平安京でいう船岡山十王岩大極殿鶴岡八幡宮羅城門一の鳥居



若宮大路

段葛

十王岩

鶴岡八幡宮浜の大鳥居

鶴岡八幡宮大鳥居


鶴岡八幡宮


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祇園祭の蟷螂山~からくりのカマキリと石清水八幡宮のカマキリ~



祇園祭の前祭で巡行する蟷螂山は、小田原で最古の商家「外郎家」(ういろう)の二代当主・宗奇(そうき)によって創始されました。

室町幕府二代将軍足利義詮との戦いで戦死した公卿四條隆資の勇姿を称えたもので、中国の故事「蟷螂の斧」にちなんでいるのだとか。



山鉾の中で唯一、巡行中に動く「からくり」が施されているのが蟷螂山。


カマを振り上げたり、首をかしげるたり、





☆ ☆ ☆ ☆ ☆



四條隆資が戦死したのは「八幡の戦い」。

石清水八幡宮の本殿欄間の彫刻の中にはカマキリもありますが、蟷螂山のカマキリをヒントに彫られたのかも・・・



祇園祭の蟷螂山と小田原外郎家


祇園祭

石清水八幡宮


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