別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


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2023年12月5日火曜日

紫式部の部屋にやってきた藤原道長




1008年(寛弘5年)7月16日、一条天皇の中宮・藤原彰子は、お産のため土御門邸に里下がり。

彰子に仕えていた紫式部は渡殿の東側の戸口近くに部屋を与えられていたらしい。

そこへやってきた藤原道長が部屋の戸を叩く。

無視していたら、翌朝

「夜もすがら くひなよりけに なくなくぞ 真木の戸口に たたきわびつる」

という歌を贈ってきたので

「ただならじ とばかりたたく 水鶏ゆゑ あけてはいかにくやしからまし」

と返したのだとか。




紫きぶ七橋は、紫式部が暮らした越前武生を流れる河濯川に架かる七つの橋。

高欄に『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』の一場面がレリーフとしてはめこまれている。




紫式部と越前国


紫式部の越前下向









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


源氏物語

光源氏

琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

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宇治十帖


藤原道長

藤原彰子



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2023年12月3日日曜日

紫式部の歌碑~越前市蔵の辻~




「ふるさとに 帰る山路の それならば 心やゆくと ゆきも見てまし」

父・藤原為時に同行して越前武生に下向した紫式部が「早く都へ戻りたい」という思いから詠んだ歌。

雪掻きをして山のようになった雪に登った人が、「外に出てこの山をご覧なさいませ」

と言うが・・・

それが都へ帰る途中の鹿蒜山(かえるやま・木ノ芽峠)なら喜んで見てみようと思うけれど・・・

歌の中の「帰る山路」は「鹿蒜山」(帰山)のことで、「鹿蒜」と「帰る」を懸けたものらしい。




紫式部の越前下向


紫式部と越前国









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


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2023年12月1日金曜日

紫式部が参拝したという鹿蒜神社~越前下向~




鹿蒜神社(かひるじんじゃ)は福井県の南越前町今庄にある社。

996年(長徳2年)、越前国司となった父の藤原為時とともに越前国府(武生)へ向かう紫式部が参拝したといわれています。


藤原為時紫式部は、逢坂の関を越えて大津に入り、琵琶湖を渡って塩津浜に上陸。

塩津山(深坂峠)を越えて越前国の敦賀に入り、木ノ芽峠を越えて鹿蒜郷に至ったのだと伝えられています。





紫式部の越前下向


紫式部と越前国









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


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2023年11月29日水曜日

富士山の雪解け水が湧き出す柿田川公園は泉頭城跡




静岡県駿東郡清水町を流れる柿田川は、富士山の雨や雪解け水が三島溶岩流にしみ込み、その先端から湧き出している地下水を源泉としている川。

現在は柿田川公園として整備されていますが、戦国時代には泉頭城(いずみかしらじょう)がありました。

小田原城北条氏康が甲斐国の武田信玄の侵攻に備えて築いた城で、武田氏滅亡後は駿府城徳川家康に備えるための前線基地として機能。

豊臣秀吉の小田原征伐によって北条氏が滅びると廃城となりましたが、徳川家康は新たな城を築き隠居所とする計画を立てていたのだとか。

しかし、その計画はなくなり駿府城を隠居所としたようです。












東照宮



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2023年11月27日月曜日

方広寺の大仏と梵鐘~徳川家康と豊臣秀頼~




方広寺は、1595年(文禄4年)、豊臣秀吉が造立した東大寺の大仏に代わる大仏を安置するために建てられた寺。

大仏は木造で東大寺の大仏より高いものだったが、慶長大地震で大破。

1612年(慶長17年)、豊臣秀頼によって二代目の大仏が鋳造されるが、1662年(寛文2年)の寛文近江・若狭地震により損壊。

その後も三代目・四代目の大仏が造立されたが焼失。

現在は本堂・大黒天堂・大鐘楼が残されている。



梵鐘は、豊臣秀頼が1614年(慶長19年)に鋳造させたものだが・・・



徳川家康は、銘文中の「国家安康」には「家康の名を2つに分断」し、「君臣豊楽」には「豊臣を君主として楽しむ」という下心が隠されていて、徳川家に対する呪いが込められていると指摘。

この問題が大坂の陣へと繋がっていく。






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