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鎌倉・江の島の龍・・・2012辰年

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辰年は、十二支の中の5番目に数えられます。 伝説上の動物「龍」が割り当てられています。 常楽寺 : 仏殿 の雲龍 円覚寺 : 仏殿 天井の白龍 建長寺 : 法堂 天井の雲龍 東慶寺 : 鐘楼 天井の龍 龍は、「仏の教えを人々に伝える」ということから寺院の建物の天井には、龍の図が描かれるようです。 北条氏の家紋 「ミツウロコ」 「ミツウロコ」 は、 北条時政 が 江の島 に参籠した際に、龍神が残していった3枚の鱗が基になっているといいます。 ★ 北条時政の龍神伝説・・・江の島 稲村ヶ崎 :龍神に祈った 新田義貞 鎌倉を攻めたい 新田義貞 は、海に黄金の太刀を投じ潮を引かせたといいます。 ★ 鎌倉炎上~新田義貞の鎌倉攻め~ ★ 新田義貞伝説・・・黄金の雌雄の太刀 妙本寺 : 二天門 の龍の彫刻 門の前で手を拍つと鳴き声をあげるという「鳴龍」伝説があるようです。 ★ 二天門修理完成報告式~妙本寺~ 上行寺 :山門の龍の彫刻 上行寺 :表欄間の龍の彫刻 上行寺 の本堂は、 妙法寺 の法華堂が移築されたもの。 龍口寺 「龍口」(たつのくち)というのは、藤沢市片瀬の字名。 弁財天と五頭龍の伝説から付けられた地名だといわれています。 ★ 登龍・・・龍口寺の初詣 龍口明神社 龍口明神社 には、五頭龍が祀られています。 江の島 ★ 龍神の島:辰年2012・・・江の島 ★ 龍恋の鐘~恋人の丘:江の島~ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「龍」のつく寺社 龍口明神社   龍寳寺   本龍寺   龍峰院 (建長寺塔頭)  臥龍庵 (円覚寺塔頭)  龍隠庵 (円覚寺塔頭) 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

登龍・・・龍口寺の初詣

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龍口寺 は 「龍口刑場跡」 に建てられた日蓮宗の寺。 「龍口」という地名は、五頭龍伝説にちなんで付けられた名称です。 昔、五つの頭を持つ龍が悪行を重ねていところ、弁財天が天から舞い降り、五頭龍を諭し、悪行をやめさせました。 五頭龍は天女に恋をし、天女は結婚を約束したていたといいます。 藤沢片瀬の龍口山は、五頭龍が山に姿を変えてできたといわれ、天女の天下りとともに出現した島が 江の島 だと伝えられています。 仁王門の天井画 山門の彫刻 本堂の額 鎌倉の初詣 https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/hatumoude-kamakura.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

龍神の島:辰年2012・・・江の島

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江の島 は、龍神伝説の島。 伝説によれば・・・ 昔、五つの頭を持った龍(五頭龍)が悪いことをしていましたが、そこに現れた天女に恋をし、悪行を止めたのだとか・・・。 (参考: 龍恋の鐘~恋人の丘:江の島 ) 北条時政 が参籠した折、龍が現れ3つの鱗を残していった。それが北条氏の家紋 「ミツウロコ」 であるとか・・・。 (参考: 北条時政の龍神伝説・・・江ノ島 ) 江の島 へ渡る 弁天橋 の入口にある 龍燈 青銅鳥居 「江島大明神」の額には、龍が施されています。 江島神社 の門は竜宮城を模した 瑞心門 弁財天 の化身としての 龍 。 手水舎の龍 銭洗白龍王 ( 辺津宮 ) 「白龍王黄金浄水」で洗い清めると福徳がもたらされるという。 中津宮 の彫刻と 水琴窟 奥津宮 のしゃもじ 龍神大神 (龍宮(わだつのみや)) 龍恋の鐘 岩屋洞窟 の龍神 龍口明神社 五頭龍は、この神社に祀られています。 江の島 https://www.yoritomo-japan.com/enosima.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

了行法師の謀叛と追放された将軍藤原頼嗣

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『吾妻鏡』によれば・・・ 1251年(建長3年)12月26日、了行・矢作常氏・長久連らが謀叛を企てたとして、佐々木氏信・武藤景頼に捕らえられ、諏訪盛重が尋問を行っています。 ※了行は、 宝治合戦 で滅んだ 千葉氏 庶流の僧。 ※矢作常氏は 千葉氏 の残党。 ※長久連は 三浦氏 の残党。 三浦一族のやぐら (法華堂跡) この謀叛計画には、京都の 九条頼経 (将軍頼嗣の父)とその父道家が関与していたものとされています。 ※ 頼経 は四代将軍。 宮騒動 で京都に送還されていました。五代将軍には 頼経 の子頼嗣がなっています。 (参考: 鎌倉幕府四代将軍・・・藤原頼経 ) そのため、五代執権 北条時頼 は、1252年(建長4年)2月20日、五代将軍頼嗣を廃し、後嵯峨上皇の皇子 宗尊親王 を迎えることに決定します。 3月には頼嗣が京都に送還され、4月には 宗尊親王 が鎌倉に入りました。 ※道家は1252年(建長4年)2月21日死去。 ※ 頼経 は1256年(康元元年)8月11日死去。 ※頼嗣は1256年(康元元年)9月25日死去。 大倉(大蔵)稲荷 その後も鎌倉では 三浦氏 の残党による謀叛が計画されているようです。 『吾妻鏡』によれば、1261年(弘長元年)5月1日、「 大倉稲荷 に会合している者を捕らえようとしたが、悉く逃げてしまった」という記事があります。 その翌月には、「 三浦義村 の子良賢が謀叛によって捕らえられた」という記事もあるようです。 東福寺 京都の 東福寺 は九条道家が創建した九条家の菩提寺。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

材木座:五所神社の板碑

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材木座の鎮守 五所神社 の板碑は、弘長二年(1262年)銘のある国の認定重要美術品。 高さ134㎝・上部幅42㎝・下部幅43㎝。 もとは、明治初期に廃寺となった感応寺に置かれていたもので、『新編相模国風土記稿』には、「境内(感応寺)に倶利伽羅龍王の古碑あり」とあるようです。 中央の大日如来を表す種子「バン」は、剣に巻き付いた龍を表現しています。 これは、「大日如来が変じて不動明王となり不動明王が変じて剣となった」ということを表現しているのだといいます。 ※「倶利伽羅龍王」は、剣を飲む龍の姿をしている。 ※「種子」(しゅじ)とは、仏尊を表す真言。 光明寺の板碑 光明寺 の阿弥陀如来の種子「キリク」が刻まれた板碑も弘長二年銘のあるもので、 五所神社 の板碑と対をなすものと考えられているようです。 ・・・・・・・・・・・・ 乱橋手摺石 摩利支天 三光尊石上稲荷 包装老婆さんの石 諏訪神社 御嶽信仰碑 お春像 ・・・・・・・・・・・・ 五所神社 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html