投稿

4月 28, 2024の投稿を表示しています

紫式部の娘は道兼の子と結婚

イメージ
大河ドラマ「光る君へ」で、まひろ( 紫式部 )の母を殺した 藤原道兼 。 寛和の変 では 花山天皇 を出家させました。 995年(長徳元年)4月10日、兄の 道隆 の死後、関白となりますが・・・ 5月8日に没します(享年35)。 長徳元年は疫病が大流行した年。 3月20日には 藤原朝光 、4月23日には 藤原済時 が亡くなっています。 「光る君へ」で、 道兼 の死をまひろがどう思うのか興味あるところですが・・・ のちに生まれる 紫式部 の娘・ 賢子 (大弐三位)は、 道兼 の次男・兼隆と結婚しています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

毎月、道隆の供養をした定子

イメージ
995年(長徳元年)4月10日、 一条天皇 の中宮・ 藤原定子 の父の 道隆 が死去。 清少納言 の『枕草子』によると、定子は毎月10日に道隆の供養をしていたのだといいます。 9月10日の追悼では、 清水寺 の清範の法話に皆が感動。 その後、酒を飲んだり、詩をそらんじたりしていると・・・ 蔵人頭の 藤原斉信 が「月秋と期して身いづくか」と詠い、とても素晴らしかったのだとか。 (秋の月を愛でた人はどこに行ってしまったのだろう?) 清水寺 説教をした清範は、 興福寺 の守朝の弟子。 清水寺の別当となって清水律師と呼ばれました。 文殊菩薩の化身といわれ、 藤原道長 が営んだ法会では、集まった百僧のために置かれていた敷物の一つに「文殊」と書かれたいた札が隠されていることを見抜いたのだとか。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

端午節会・端午の節句~清少納言・紫式部・源頼朝~

イメージ
古代の日本では、旧暦の5月5日に薬猟(くすりがり)が行われていました。 鹿の若角や菖蒲や蓬などの薬草を取りにいった日とされています。 採集した薬は「薬玉」(くすだま)に詰められ、9月9日の重陽の節句まで飾るという風習があったのだといいます。 これが端午節会(端午の節句)の起源と言われています。 端午節会では、「菖蒲鬘」(あやめのかづら)をつけて参列し、天皇から「薬玉」を賜っていたようです。 騎射・走馬・ 打毬 も行われていました。 清少納言 の『枕草子』には・・・ 「節は五月にしく月はなし。菖蒲、蓬などのかをりあひたる、いみじうをかし」 (節供は5月に及ぶものはない。菖蒲や蓬などが香っている様子はとても趣きがある) と記されています。 端午節会は、平安時代の宮中で盛んに催され、軒に菖蒲や蓬を挿し、菖蒲を冠に飾ったり、菖蒲の葉で作った「薬玉」(くすだま)を柱に下げたりしていたようです。 また、菖蒲の長い根を贈り合う風習があり、 紫式部 は 小少将の君 から菖蒲の根が贈られています。 『源氏物語』 ~蛍の巻~では・・・ 兵部卿の宮から 玉鬘 に贈られた歌には、記録になるほどの長さの菖蒲の根が結びつけられていました。 菖蒲は古来より不浄を払い邪気を避けるものとされてきました。 鎌倉時代になると、「菖蒲」が武道を重んじる「尚武」と同じ読みであることから、武士たちも「端午の節供」を行うようになります。 『吾妻鏡』によると、1187年(文治3年)5月5日、 鶴岡八幡宮 で神事が行われ、 北条政子 が参拝したことが記されています。 これが 鶴岡八幡宮 の 「菖蒲祭」 の始まりとなります。 源頼朝 の御所の屋根にも魔よけの菖蒲が葺かれたようです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

小田原城あじさい花菖蒲まつり2024

イメージ
2024年(令和6年)の 小田原城あじさい花菖蒲まつり は、6月1日(土)~6月16日(日) 5月3日は、 北條五代祭り でしたが、小田原城址公園の花菖蒲園ではハナショウブが咲いていました。 アジサイはまだです。 小田原城 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

小田原北條五代祭り2024/05/03

イメージ
毎年、5月3日の 小田原城 は 北條五代祭り 。 北条早雲 ・ 氏綱 ・ 氏康 ・ 氏政 ・ 氏直 を偲ぶ小田原市最大のイベント。 北条早雲公像 小田原駅前の 北条早雲公像 も兜に甲冑姿です。 北条太鼓 スペシャルゲスト 北条早雲 役は、俳優で小田原ふるさと大使の合田雅吏さん。 北条氏政 役は、NHK大河ドラマ 「真田丸」で氏政を演じた俳優の高嶋政伸さん。 北条氏直 役は、俳優で小田原ふるさと大使の柳沢慎吾さん。 今年は60回記念。 60周年記念ゲストとして・・・ 伊勢新九郎(早雲)役に八代目市川新之助さん。 北川殿(早雲の姉妹)役に四代目市川ぼたんさん。 法螺貝が吹かれると出陣! 北条五代を大河ドラマに! 小田原城 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆