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2015鎌倉:桜(ソメイヨシノ)の開花は・・・№5

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3月20日の日本気象協会の発表によれば、今年の桜(ソメイヨシノ)の開花は平年よりやや早い見込み。 横浜の開花は3月25日、 小田原城址公園 は3月23日と予想されています。(平年開花は3月26日)。 前回の発表からすると横浜の開花が1日、小田原城址公園が2日早くなりました。 3月19日のウェザーマップでは、横浜が3月23日の開花予想となっているようです。 こちらは前回予想から1日遅くなっています。 桜前線が北上を開始する時になって日本気象協会とウェザーマップの予想がほぼ一致してきました。 そして、桜前線のスタートは今日(3月21日)からの予想となっています。 建長寺 開花から満開までは概ね7日程度。 日本気象協会の発表によれば、満開予想日は横浜・ 小田原城址公園 ともに4月1日。 ウェザーマップでも横浜の満開予想日は4月1日となっています。 そうすると、鎌倉の開花は・・・ 気温が心配ですが、週明けの23日には徐々に咲き始めるのではないでしょうか。 光則寺参道:3月20日 昨日(3月20日)の 光則寺 参道のソメイヨシノです。 1つ咲いているのを発見しました。 他の蕾も間もなく開くといった感じです。 長谷寺 のソメイヨシノの蕾もかなり大きく膨らんでいました。 光則寺枝垂れ桜 :3月20日 光則寺では山門前の枝垂れ桜もかなり咲き始めました。 裏山ではヤマザクラが満開です。 枝垂れ桜 は、本覚寺や安国論寺でも咲き始めています。 来週末には見頃となるでしょう。 3月28日・29日には、光明寺で 観桜会 が開催される予定です。 3月27日から4月7日まで光則寺では鎌倉彫の特別公開が行われます( 格天井の鎌倉彫特別公開 )。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉:桜の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sakura-kamakura.htm

鎌倉:別願寺のハクモクレン2015/03/20

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別願寺 の ハクモクレン 。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉のハクモクレン http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/hakumokuren.htm 鎌倉:桜の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sakura-kamakura.htm

鎌倉:光則寺の桜の様子は・・・2015/03/20

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光則寺 の参道を歩いていると、まず目に入ってくるのが裏山のヤマザクラ。満開です。 ヤマザクラ アメリカスモモ 参道では、 アメリカスモモ が咲き始めました。 枝垂れ桜 ソメイヨシノ より一足早く見頃を迎える山門前の 枝垂れ桜 も咲き始めています。 枝垂れ桜は、 安国論寺 や 本覚寺 でも咲き始めました。 カイドウ 本堂前の カイドウ も間もなく花が開きそうな感じです。 ヤマザクラ ミツマタ 池の畔 池の畔に植えられているのマメザクラとフジザクラという品種のようです。 さて・・・帰りに発見してしまいました。 参道の ソメイヨシノ が咲いているのを・・・たった一つだけでしたが・・・ 他の蕾ももうすぐです。 光則寺 では、3月27日(金)から4月7日(火)まで、本堂で 鎌倉彫 136枚の特別公開が行われる予定です。 サクラやカイドウが咲く中での鎌倉彫も素晴らしいと思います。 ★格天井の鎌倉彫特別公開・・・鎌倉:光則寺 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉:桜の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sakura-kamakura.htm

鎌倉:長谷寺のハクモクレン・コブシ・ミツマタ他2015/03/20

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この時季の 長谷寺 は数日で景色が変わります。 ソメイヨシノ の開花も間もなくです。 ミヤマガンショウ ハクモクレン ハクモクレン ミツマタ ハクモクレン コブシ コブシ ソメイヨシノの蕾 大夫膨らんできました。 そろそろ開きそうです。 ミツマタ 寒緋桜 黄梅 トサミズキ トサミズキ ヨシノツツジ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉:桜の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sakura-kamakura.htm

源頼朝像と信濃善光寺・甲斐善光寺

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源頼朝像 甲斐善光寺 に伝えられる「木造源頼朝坐像」は、「文保3年」(1319年)の銘があるもので、 源頼朝 の最古の彫像といわれています。 銘文には、頼朝の命日である「正治元年正月13日」という日付も確認されていて、頼朝の彫像であることは間違いないとされています。 また、「尼二位」の文字も読み取れることから 北条政子 が造らせた像ではないかとも考えられているようです。 ※政子は1218年(建保6年)に従二位に叙せられています。 信濃善光寺 頼朝像は、もとは信濃の 善光寺 にあったもの。 善光寺 は1179年(治承3年)に焼失し、 源頼朝 が再建しました。 1197年(建久8年)には自らも参詣しているのだといいます。 その後、 善光寺 は1268年(文永5年)と1313年(正和2年)に火災に見舞われています。 これらの火災で頼朝像も被害を受けたものと思われますが、銘の「文保3年」(1319年)は、その修理が完成したことを示すものとも考えられているようです。 北条政子 が造らせたという説と併せて考えれば、 頼朝 が亡くなった1199年(正治元年(建久10年))から 政子 が亡くなった1225年(嘉禄元年)の間に造像されたものなのかもしれません。 甲斐善光寺 何故 甲斐善光寺 に頼朝像があるのでしょうか・・・。 甲斐善光寺 は、 武田信玄 が 上杉謙信 との 川中島の戦い で焼失してしまうことをおそれ、 信濃善光寺 の本尊( 善光寺如来 )を甲斐国に移してきたことに始まります。 その際、多くの寺宝とともに頼朝像も信濃から甲斐にやってきたのでしょう。 武田氏が滅びると、 善光寺如来 は各地を転々とした後、信濃に戻りますが、頼朝像はそのまま甲斐に残ったということなのでしょうか。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 今年は7年に一度の御開帳 ★善光寺の前立本尊・7年に一度の御開帳