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1月 14, 2024の投稿を表示しています

源頼朝・源朝長ゆかりの松田町の桜まつり

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松田町の西平畑公園には約360本の 河津桜​ が植えられています。 河津桜の下には菜の花も。 まつだ桜まつりは、2月3日(土)~3月3日(日) 9:00~16:00 入園料300円(6歳以上18歳未満は100円) 開花状況は松田町観光協会等のページで確認ください。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 相模国松田郷は、波多野義通が治めた地で、 源頼朝 の異母兄・ 朝長 は松田亭で生まれ育ちました。 『吾妻鏡』によると・・・ 1180年(治承4年)10月18日、平家軍を迎え撃つため軍を進めていた頼朝は、その途中で中村宗平に松田亭の修理を命じ、 富士川の戦い で平家軍を敗走させた頼朝は、10月25日に修理させていた松田亭に入っています。 寒田神社 松田亭は、 寒田神社 の東南にあったといわれています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

藤原実資が信仰した如意輪観音~六角堂(頂法寺)~

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六角堂 (頂法寺)は、 四天王寺 を建立するための用材を求め、この地を訪れた聖徳太子が、 唐崎明神 のお告げで得た杉の霊木で六角の堂を建立し、如意輪観音を祀ったのが始まりなのだとか。 藤原道長 権勢下で政界ナンバー2といわれた 藤原実資 は60回を超える参詣をしていたのだと伝えられています。 西国三十三所第十八番 「わが思う心のうちは六の角 ただ円かれと祈るなりけり」 御詠歌は、西国三十三所中興の祖といわれる 花山法皇 が巡礼の際に木の短冊にしたためた和歌。 六角堂 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

藤原道隆~藤原道長の兄・源実朝の正妻坊門姫の先祖~

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藤原道隆 は、 藤原兼家 の長男。 兼家の跡を継いで 一条天皇 の関白となり、道隆の一族は中関白家と呼ばれるようになります。 しかし、全盛を迎えようとしていた995年(長徳元年)4月10日に薨去。 弟の 道長 と政権の座を争った子の 伊周 と 隆家 は、翌年正月に 長徳の変 を起こして失脚。 中関白家は没落します。 平清盛 の継母で 源頼朝 の命を救った 池禅尼 や 源実朝 の正妻 坊門姫 は、 隆家 の子孫らしい。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

中山寺の石棺~花山法皇と観音霊場~

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中山寺の石棺 中山寺 (宝塚市)には、仲哀天皇の先后大仲姫が埋葬されたと伝えられる石棺「石の櫃(からと)」があります。 伝説によると・・・ 718年(養老2年)、 大和国長谷寺 を開いた徳道が閻魔大王から授かった観音霊場三十三ヶ所の宝印を納めたとういう石棺なのだとか。 それから270年後、宝印を探し出した 花山法皇 は三十三所を巡礼。 そのため、 花山法皇 は西国観音霊場三十三所の中興の祖と呼ばれるようになったのだといいます。 元慶寺 986年(寛和2年)6月23日、花山天皇( 花山法皇 )は 藤原兼家 ・ 道兼 父子の策謀により 元慶寺 で出家( 寛和の変 )。 播磨国書写山の圓教寺に入った後、 延暦寺 の 戒壇院 で受戒して法皇となり、観音霊場三十三所を巡礼したのだといいます。 花山院菩提寺 晩年、 花山法皇 は摂津国で隠棲生活を送り、1008年(寛弘5年)2月8日、京都の 花山院 (御所)で崩御。 花山法皇が隠棲した 花山院菩提寺 は、 元慶寺 とともに霊場ゆかりの地として番外寺院となっています。 中山寺 中山寺 は、聖徳太子が建立したという日本最初の観音霊場。 観音信者だった 源頼朝 も信仰した寺。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆