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3月 13, 2011の投稿を表示しています

ミツマタ~鎌倉2~

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円覚寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page138engakuji.htm 黄梅庵 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/tera-emgakutatyyu-oubaiin.htm 佛日庵 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/tera-emgakutatyyu-butunitian.htm 東慶寺 h ttp://www8.plala.or.jp/bosatsu/page138tokeiji.htm 浄智寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page138jyotiji.htm 浄智寺のミツマタ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/mitumata-jyotiji.htm 長谷寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page136hasedera.htm 鎌倉のミツマタ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/mitumata.htm 荏柄天神社のミツマタ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/mitumata-egaratenjin.htm 浄智寺のミツマタ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/mitumata-jyotiji.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

浄智寺のミツマタ

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☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 浄智寺   https://www.yoritomo-japan.com/page138jyotiji.htm

東慶寺の春

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春の彼岸の季節の東慶寺。 ハクモクレンや彼岸桜も、もう少しで咲きそうです。 ・・・・・・・・・・・ 東慶寺 https://www.yoritomo-japan.com/page138tokeiji.htm

鎌倉:東慶寺の梅2

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鎌倉:梅の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/ume-kamakura.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

佛日庵の春~円覚寺~

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円覚寺 はお彼岸の期間の拝観料が無料となります。 塔頭の 佛日庵 は、八代執権 北条時宗 の廟所です。九代執権貞時、十四代執権高時も合祀されています。 佛日庵 100円を払って線香をもらいます。 https://www.yoritomo-japan.com/tera-emgakutatyyu-butunitian.htm ハクモクレン 魯迅から贈られた株というハクモクレンはまだでした。 https://www.yoritomo-japan.com/hana-kesiki/hakumokuren-butunitian.htm 4月4日は、北条時宗の 毎歳忌 です。その頃には桜の花も咲きますかね。 佛日庵 https://www.yoritomo-japan.com/tera-emgakutatyyu-butunitian.htm 円覚寺 https://www.yoritomo-japan.com/page138engakuji.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

扇谷上杉家の屋敷跡

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室町時代に活躍する上杉氏は、六代将軍として鎌倉に迎えられた 宗尊親王 に従ってきた上杉重房が初代となります。 扇谷上杉管領屋敷跡碑 扇谷上杉の当主定正は、この地に館を建て「扇谷殿」と呼ばれていたそうです。 定正の時代の扇谷上杉家には家宰に太田道灌がいました。 道灌は多くの 功績を残し扇谷上杉の地位を高めました。 道灌の屋敷は現在の 英勝寺 がある辺りであったと伝えられています。 のちに定正は、粕屋の館(伊勢原市)に道灌を誘き出し暗殺しています。 https://www.yoritomo-japan.com/page137kanrei-yasiki.htm 扇ヶ谷という地名は『吾妻鏡』には登場しないそうです。 1180年(治承4年)10月に 源頼朝 が鎌倉入りをしたときの記事でも、亀ヶ谷という地名が使用されていますので、この辺りの総称は「亀ヶ谷」と呼ばれていたものと考えられています。 扇ヶ谷という地名も鎌倉時代の後期頃から使われているようですが、 海蔵寺 から 英勝寺 辺りまでの狭い範囲だったといいます。 その後、上杉定正が住み「扇谷殿」と呼ばれるようになって、亀ヶ谷という地名がすたれたといいます。 上杉重房坐像 明月院 の木造上杉重房坐像は鎌倉時代の作で、 国の重要文化財に指定されています( 鎌倉国宝館 に寄託)。 上杉重房は、六代将軍 宗尊親王 に従って鎌倉に来ました。 宗尊親王 が鎌倉を追放された後も鎌倉に残り幕府に仕えます。 重房の孫清子は、 足利貞氏 の嫁ぎ 尊氏 ・ 直義 を産みました。 三代後の憲顕は、鎌倉府の関東管領として活躍しています。 扇谷上杉管領屋敷跡 https://www.yoritomo-japan.com/page137kanrei-yasiki.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

英勝寺山門の復興工事・・・もうすぐ完了!

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英勝寺 の山門は、大正12年の関東大震災で倒壊し、その後は、 山王ヶ谷 の資産家に買い取られ、その土地に建てられ保存されていました。 そして、時は経て、 英勝寺 に山門が買い戻され、その復興工事が長く行われていました。 英勝寺 山門の復興工事が進められていましたが、 やっと・・・その姿を見ることができるようになりました。 5月16日に完成式が行われる予定とのことです。 英勝寺 https://www.yoritomo-japan.com/page137eishoji.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

鎌倉:瑞泉寺の梅2

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梅の名所として知られている 瑞泉寺 。 入口付近の梅の見頃までには、もう少しの時間を要するようです。 鎌倉:梅の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/ume-kamakura.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html