1333年(元弘3年)5月22日、鎌倉は、 稲村ヶ崎 を突破した 新田義貞 に攻められます。 東勝寺跡碑 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043toshoji.htm 新田義貞 の鎌倉攻めによって敗れた北条氏は、 小町邸 から 東勝寺 へ移ります。 そして、新田勢が迫ってくると 東勝寺 に火をかけ、 北条高時 以下一族約870名が自刃したと伝えられています。 ~東勝寺跡~ 腹切やぐら 東勝寺跡 に残されている「腹切やぐら」は、 北条高時 の首が葬られたとされています。 ただ、鎌倉には 高時 の首塚がいくつもあって、どこが本当の場所のか定かではありません。 北条一族が葬られたのは、釈迦堂ヶ谷やぐら群という説が有力のようですし、 宝戒寺 の地蔵菩薩像の床下の五輪塔に、 高時 の遺骨が収められているという言い伝えもあるようです。 北条首やぐら http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/yagura-hojyokubiyagura.htm お塔の窪やぐら http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/yagura-otounokubo.htm 釈迦堂切通 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kodou-3.htm やぐら前の塔婆 腹切やぐらの上の山腹にある稲荷の祠 「腹切やぐら」から山道を上れば、 祗園山ハイキングコース です。 東勝寺跡 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043toshoji.htm 宝戒寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043hokaiji.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html