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円覚寺開堂と無学祖元(仏光国師)の伝説

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円覚寺 は、八代執権 北条時宗 によって、1281年(弘安4年)から建て始められ、1282年(弘安5年)12月8日に開堂供養が行われています。 開山に迎えられたのは、宋から渡来した無学祖元(仏光国師)。 仏光国師(無学祖元)坐像 無学祖元が来日する前のある日こと。 いつものように坐禅を組んでいると、金色の龍と青い鳩を連れ、頭には冠をつけ笏を持った神のような人が現れ、日本に来て仏法を広めてほしいと頼んだのだといいます。 その後、祖元は 北条時宗 の招きで来日。 参拝した 鶴岡八幡宮 の楼門の梁にたくさんの鳩がいるのを見た祖元は、あの時の神が鶴岡八幡宮の神だったことをと悟ったのだそうです。 そして、 円覚寺 の開山塔 正続院 には、祖元が来日する際に、舟を守護していた龍が宿したという「宿竜池」と呼ばれる池があったのだとか。 このような伝説から 「木造仏光国師坐像」 の椅子には龍と鳩の彫刻があるのだと伝えられています。 鶴岡八幡宮 の 楼門の掲額 の八の字は、鳩で描かれています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 白鷺池 無学祖元が中国の宋から日本に来たときに、白鷺となった 鶴岡八幡宮 の神霊に導かれたのがこの池だったと伝えられています。 白鹿洞 円覚寺 落慶の日、開山の 無学祖元 の法話を聞くために白鹿が集まったきました。 白鹿洞 は、 佛日庵 の前にある洞窟。 無学祖元の法話を聞くために集まった白鹿は、この洞窟から出てきたのだとか・・・。 総門の額 円覚寺 の山号は 瑞鹿山 。 白鹿伝説から付けられた山号といわれ、「めでたい鹿のお山」という意味があるのだそうです。 洪鐘 円覚寺 の 国宝梵鐘 (洪鐘)は、無学祖元が来日する際に、舟を守護していた竜が宿したという宿竜池の底から金銅を得て鋳造されたのだと伝えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

無学祖元の臨刃偈(りんじんげ)

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まだ、 円覚寺 開山の無学祖元が南宋にいた頃の事。 元の侵攻による難を避けて能仁寺にいた無学祖元。 やがてそこにも元の兵がやってきます。 寺僧はみな逃げ出しますが、無学祖元はひとり僧堂に残っていました。 元兵は刀をかざして無学祖元を脅しますが、それに対して・・・ 「振りかざされた剣も、生死を超えた身には稲光のあいまに春風を斬るようなものだ」 と語ったのだといいます。 元兵は、「死をおそれぬ無学祖元の気迫におされ退散していった」という逸話が残されています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 無学祖元 は、中国・宋の禅僧。 1279年(弘安2年)8月20日、八代執権・ 北条時宗 の招きによって来日し、 建長寺 の第五世住持となります。 時宗の師として鎌倉幕府御家人からも信仰を受け、特に蒙古襲来(元寇)に際しては、時宗の政策に大きな影響を与えました。 元使塚 (常立寺) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

源頼朝、相模国へ進軍!

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1180年(治承4年)8月17日、 源氏再興の挙兵 をして伊豆国の目代 山木兼隆 を討った 源頼朝 は、8月20日、 伊豆国 を出て相模国へと軍を進めます。 高源寺 (函南町) 高源寺 は、相模国へ進軍する頼朝軍の軍勢ぞろえの地と伝えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 『吾妻鏡』によると、頼朝に従った武将は以下のとおり。 北条時政 北条宗時 北条義時 北条時定 安達盛長 工藤茂光 工藤親光 宇佐見助茂 土肥実平 土肥遠平 土屋宗遠 土屋義清 土屋忠光 岡崎義実 佐奈田義忠 佐々木定綱 佐々木経高 佐々木盛綱 佐々木高綱 天野遠景 天野政景 宇佐見正光 宇佐見実政 大庭景義 豊田景俊 仁田忠常 加藤景員 加藤光員 加藤景廉 堀親家 堀助政 天野光家 中村景平 中村盛平 鮫島宗家 鮫島宣親 大見家秀 近藤国平 平佐古為重 那古谷頼時 澤宗家 義勝房成尋 中惟重 中惟平 藤井俊長 中原光家 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 五所神社 (湯河原町) 相模国の土肥郷に入った頼朝は、 五所神社 で戦勝を祈願して 石橋山 へ向かったのだと伝えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

読経の代行を伊豆山の尼法音に頼んだ源頼朝

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源頼朝 は、伊豆に流されてから、読経をおこたらず、 尾張国野間 で家臣の 長田忠致 に暗殺された父・ 源義朝 や鎌田政長らを弔いながら日々を送っていました。 源義朝の墓 (愛知県美浜町・野間大坊) しかし・・・ 1180年(治承4年)8月17日、 源氏再興の挙兵 をして、伊豆の目代 山木兼隆 を討った頼朝は、これから相模国へ進軍しなければならず、読経がおろそかになってしまいます。 8月18日、 北条政子 は、 伊豆山権現 の尼・法音に読経の代行してもらうことを勧めます。 法音は、政子の経の師でした。 頼朝が目録を法音に提出すると、法音は快諾したのだそうです。 伊豆山神社 (熱海) 伊豆山神社 は、伊豆山権現・走湯権現とも呼ばれ、伊豆に流された 源頼朝 が源氏再興を祈願したのだと伝えられています。 若き日の 頼朝 と 政子 が忍び逢う場所でもあったといいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ