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11月 7, 2010の投稿を表示しています

葛原ヶ岡・大仏ハイキングコース:その2(源氏山~大仏)

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葛原ヶ岡・大仏ハイキングコース は、 浄智寺 から  →  葛原岡神社   源氏山 を経て  →  鎌倉大仏(高徳院) へとつながるハイキングコースです。 後編:源氏山→大仏 様々なコースが選択できますが、 葛原ヶ岡・大仏ハイキングコース の投稿ですので、標識の「大仏ハイキングコース」へ入ります。 源氏山 公園からハイキングコースに入ると、 由比ヶ浜 から逗子マリーナを見渡すことが出来ます。 しばらく歩くとやはり土の道です。 分かれ道 左の道を行くと 佐助稲荷神社 です。 佐助稲荷神社 の案内標識もあります。 佐助稲荷神社 へ下る所までくると、こんな道案内です。 ここの下が 佐助稲荷神社 です。 鎌倉市役所通りです。 ここを過ぎたところに浅間神社へ下る道があります。 浅間神社 そろそろ下りです。 この辺りから先は・・・ 大仏道(長谷駅から大仏切通)も参考に・・・ http://okadosblog.blogspot.com/2010/11/blog-post_16.html かなり厳しい段を下ります。 大仏切通 この段は大仏切通へ通じています。 https://www.yoritomo-japan.com/kodou-7.htm ことらの石段の上は、長谷の貯水池です。 その先は 極楽寺 へと通じています。 ここからさらに下りれば大仏坂トンネルです。 鎌倉大仏(高徳院) https://www.yoritomo-japan.com/page136kotokuin.htm 鎌倉というと思い浮かべる 鎌倉の大仏 。 この日はAPECの関連行事とかで・・・(11月13日) 大仏トンネルは封鎖され、大仏周辺はものすごい警備でした。 外国の偉い方のご婦人方が鎌倉観光をしていたので、ただ前を通過するのみでした。 葛原ヶ岡・大仏ハイキングコース:その1 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

水道路から来迎寺・五所神社・實相寺・補陀洛寺・弁谷

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水道路 小町大路の水道路交差点を 長勝寺 方面へ進むと・・・ このような分かれ道になります。道沿いに真っ直ぐ進めば 長勝寺 です。 右に入って、最初の路地を右に入れば 来迎寺 ・ 五所神社 ・ 實相寺 が並ぶ道です。 小町大路と平行に通っています。 分岐地点には馬頭観音。 裏側には稲荷社 能蔵寺側溝新設工事の寄附者の名が連なっています。 能蔵寺というのは、源頼朝が 三浦義明 の菩提を弔うために建てた真言宗の寺です。 現在の 来迎寺 の前身です。 ( 来迎寺 は音阿によって時宗に改宗されています。) 来迎寺 「子育観音」と「三浦大介義明の墓」を案内する道標が建てられています。 来迎寺の子育観音は、 鎌倉観音巡 礼 の札所となっています。 三浦大介義明 は、代々の源氏に仕えた武将で、 三浦軍は、 石橋山の合戦 に駆けつけましたが間に合いませんでした。 その帰路、 由比ヶ浜 で 畠山重忠 軍に遭遇し、義明の孫、多々良重春が命を落としています。 その後、 義明 の 衣笠城 も 畠山重忠 に攻められ。 義明 は自刃しました。 義明 の嫡男義澄は 衣笠城 を脱出し、 真鶴から船出 して安房へ向かう源頼朝と海上で出会ったといわれています。 来迎寺は、 「ミモザの木」 でも知られています。 https://www.yoritomo-japan.com/page135raikoji.htm   五所神社 材木座の鎮守。 https://www.yoritomo-japan.com/page135goshojinzya.htm 實相寺 有名な 「曾我兄弟の仇討ち」 事件によって討たれた、 工藤祐経の屋敷があった所と伝えられています。 祐経の孫で日蓮に帰依した日昭によって開かれました。 https://www.yoritomo-japan.com/page135jissoji.htm 日昭の墓 この稲荷を右に行けばすぐに小町大路。 ( http://okadosblog.blogspot.com/2010/11/blog-post_11.html ) 左に行けば 補陀洛寺 。 補陀洛寺

極楽寺から稲村ヶ崎へ

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極楽寺切通の頂上 稲村ヶ崎は左方面です。 https://www.yoritomo-japan.com/page136gokurakuji-kiridosi.htm 江ノ電極楽寺駅 「関東の駅百選」に認定されています。 江ノ電 は、明治37年に極楽寺までが開通しました。 https://www.yoritomo-japan.com/enoden5.htm 阿仏尼邸跡 息子の相続問題の訴訟で鎌倉に下った阿仏尼は、 『十六夜日記』に、「東にて住むところは月影の谷」と記しています。 江ノ電 の線路沿いには「阿仏尼邸跡」の碑が建てられています。 https://www.yoritomo-japan.com/page136abutuni.htm 針磨橋の交差点 左に折れると 霊山 です。 昔は頂上まで登れる道があったようですが・・・。 針磨橋 鎌倉十橋 の一つに数えられています。 針金を磨いて針を作る老婆、または、僧侶がいたからと伝えられています。 下を流れる極楽寺川の河口は、砂鉄の採取場でした。 多くの砂鉄が採取できたため、鎌倉では鍛冶産業が発展したといわれています。 https://www.yoritomo-japan.com/page136harisuri.htm 江ノ電 の脇を歩きます。 持法日實法師 日實は、 濱土實相寺 の歴代住職の弟子で、 この地に住んで 日蓮袈裟掛松 を守っていたと書かれています。 日蓮袈裟掛松の碑 1271年(文永8年)、 北条時宗 の御内人平頼綱に捕らえられた 日蓮 は、 龍ノ口刑場 に護送される途中、 袈裟を血で汚すのはおそれ多いといって、 松の枝に袈裟を架けたと伝えられています。 https://www.yoritomo-japan.com/page136kesagake-matu.htm 肉の稲村亭 「線路の端に肉屋さん チンチンゴトゴト お店が見えなくなりました」 焼き豚で知られているお店です。 十一人塚 1333年(元弘3年)、新田義貞軍の侍大将大舘宗氏は、 極楽寺切通 から鎌倉に攻め入りましたが、 稲瀬川 で討死し、家来も自刃しました。 ここは、宗氏以下十一人が葬られた場所だといわれています。 https://www.yoritom

極楽寺切通(虚空蔵堂~成就院~極楽寺)

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極楽寺切通 は、 極楽寺 の忍性が開いた道とされています。しかし、開かれた時期は定かではありませんが、1298年(永仁6年)頃に開かれたのではないかと伝えられています。 虚空蔵堂 虚空蔵堂の正式名称は星井寺です。 星ノ井の伝説に残されている行基作の虚空蔵菩薩像が安置されています。 虚空蔵堂は 成就院 に管理されています。 https://www.yoritomo-japan.com/page136kokuzodo.htm 日限六地蔵尊 極楽寺切通 の入口にあるお地蔵さま。 善男善女が邪心を捨てておすがりすれば、 その期日までに願いを叶えてくれることから「日限地蔵」と呼ばれるようになりました。 お地蔵さまの目の届く範囲で事故が起きても大事に至らないともいわれています。 極楽寺切通 石碑には極楽寺坂と彫られています。 鎌倉七口 の一つ。 極楽寺 開山の忍性によって開かれた道と伝えられています。 当時は、もっと高い位置を通っていました。 現在の切通は、明治以降に順次改修されてからの道です。 https://www.yoritomo-japan.com/page136gokurakuji-kiridosi.htm 現在の 極楽寺切通 成就院参道 日限六地蔵尊の向かいの階段は、 成就院 の入口です。 参道の階段を上がると 由比ヶ浜 の海が一望できます。 成就院 は「アジサイ寺」として知られています。 アジサイの季節には「 成就院 → 御霊神社 → 長谷寺 」のコースがお薦めです。 参考: 成就院のアジサイ 成就院 三代執権 北条泰時 の創建。 古くは弘法大師が虚空蔵菩薩をまつる修行を行った霊跡と伝えられています。 https://www.yoritomo-japan.com/page136jyojyuin.htm 石塔群 成就院 の山門前から、 極楽寺切通 を挟んだ向こう側の崖上を眺めると墓地があります。 現在の切通は、ここからはるか下を通っていますが、 当時は、この墓地の前面を通っていたものと考えられています。 写真は墓地内にある石塔群。 庚申塔 現在の 極楽寺切通 から、 成就院 前方の墓地に上がる階段途中にある庚申塔。 この高さを切通が通っていた時期もあったのかもしれません。 切通は