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8月 31, 2014の投稿を表示しています

妙本寺祖師堂の特別開帳2014・・・龍口法難会

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9月12日は龍口法難会。 祖師堂が特別公開されます。 龍口法難会 https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/botamoti2.htm 妙本寺祖師堂 https://www.yoritomo-japan.com/page043myohonji-sosido.htm

龍口法難会~ぼたもち供養~・・・鎌倉:常栄寺

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常栄寺 では9月11日、12日の2日間、日蓮像にぼたもちを供え、供養が行われます( 龍口法難会~ぼたもち供養~ )。 龍口法難会~ぼたもち供養~ https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/botamoti.htm 参詣者には、ご難除ぼたもちの供養接待があります。 ごまのぼたもち (ご難除ぼたもち) 常栄寺 は、1271年(文永8年)9月12日、裸馬に乗せられ 龍ノ口刑場 へと護送される 日蓮 に、この地に住んでいた桟敷の尼が「胡麻のぼたもち」を捧げたことから「ぼたもち寺」と呼ばれています。 常栄寺 https://www.yoritomo-japan.com/page043jyoeiji.htm

鎌倉:成就院のアジサイが・・・

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成就院 本堂前にあったビデオのセット。 アジサイ参道 と護摩焚きなどの動画が見られるようになっています。 気になるのはその説明板の下の方に、 アジサイ参道 の工事が始まるというお知らせ。 「工期中、アジサイは咲きません。」 と書かれています。 工期は平成27年から29年。 3年間成就院のアジサイを観ることができないということなのでしょうか・・・ アジサイが咲く参道。 アジサイの季節には・・・ (平成26年6月24日) 成就院のアジサイ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/ajisai-jyojyuin.htm

鎌倉:御霊神社例大祭~2014鎌倉神楽・面掛行列~

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例大祭 https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/goryo-reisai.htm 御霊神社 の 例大祭 は、祭神・ 鎌倉権五郎景政 の命日に行われます。 鎌倉神楽 鎌倉神楽は、「湯立神楽」又は「湯花神楽」とも呼ばれます。 釜で湯を煮えたぎらせ、その湯を使って神事を執り行うところからそう呼ばれています。   神輿 神輿は1753年(宝暦3年)のもので、『新編相模国風土記稿』には「鶴岡八幡宮の神輿と同型」と記されています。 面掛行列 https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/goryo-menkake.htm 面掛行列 は 鶴岡八幡宮 で行われていた 舞楽面 の行列に倣ったものといわれ、神奈川県の無形民俗文化財です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 御霊神社 https://www.yoritomo-japan.com/page136gorei.htm

松尾芭蕉のおくのほそ道・・・平泉

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1689年(元禄2年)3月27日、江戸を発った松尾芭蕉は、5月13日、平泉に到着します。 そして、 衣川館 (高館義経堂)と 中尊寺 を訪れます。 以下、色付き文字の部分が「おくのほそ道」です。 三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。 秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。 無量光院跡 まづ高館にのぼれば、北上川南部より流るる大河なり。 衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落ち入る。 泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし固め、夷を防ぐと見えたり。 さても、義臣すぐつてこの城にこもり、功名一時の叢となる。 国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、 笠うち敷きて、時の移るまで涙を落とし侍りぬ。 高館義経堂 前からの景色 夏草や兵どもが夢の跡 高館義経堂 の芭蕉句碑 卯の花に兼房見ゆる白毛かな   曾良 卯の花清水横の句碑 かねて耳驚かしたる二堂開帳す。 経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。 七宝散りうせて、珠の扉風に破れ、金の柱霜雪に朽ちて、既に頽廃空虚のくさむらとなるべきを、 四面新たに囲みて、甍を覆うて風雨をしのぐ。 しばらく千歳の記念とはなれり。 中尊寺金色堂 五月雨の降り残してや光堂 中尊寺の芭蕉句碑 中尊寺の芭蕉像 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 奥州藤原氏の栄華~平泉~ https://www.yoritomo-japan.com/hiraizumi/hiraizumi.html ・・・・・・・・・・・

夏目漱石の『門』~北鎌倉:円覚寺・東慶寺~

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「主人公の宗助は、親友・安井から内縁の妻・御米を奪い、その罪の意識からひっそりと暮らしていたが、ある日、大家の板井から安井の消息を聞いた宗助は心を乱し、鎌倉の禅寺の門をくぐる」 というのが『門』のストーリー。 1894年(明治27年)の末、神経を病んだ夏目漱石は、 円覚寺 塔頭 帰源院 に止宿し、翌年1月10日まで 釈宗演 に参禅しました。 その時の体験を題材にして書かれたのが『門』。 以下、「 」内の文は、『門』から引用しています。 円覚寺山門 「山門を入ると、左右には大きな杉があって、高く空を遮ぎっているために、路が急に暗くなった。 その陰気な空気に触れた時、宗助は世の中と寺の中との区別を急に覚った。 静かな境内の入口に立った彼は、始めて風邪を意識する場合に似た一種の悪寒を催した」 夏目漱石が描くように 円覚寺 には大きな杉が高く聳えています。 この杉は総門をくぐったところの杉ですが・・・。 「山の裾を切り開いて、一二丁奥へ上るように建てた寺だと見えて、後の方は樹の色で高く塞ふさがっていた。 路の左右も山続か丘続の地勢に制せられて、けっして平ではないようであった」 ※ 円覚寺 の伽藍は徐々に高くなる配置。 円覚寺塔頭帰源院 「一窓庵は山門を這入るや否やすぐ右手の方の高い石段の上にあった 丘外れなので、日当の好い、からりとした玄関先を控えて、後の山の懐に暖まっているような位置に冬を凌ぐ気色に見えた」 ※一窓庵は 帰源院 がモデル。 妙香池 「山門の通りをほぼ一丁ほど奥へ来ると、左側に蓮池があった」 ※蓮池= 妙香池 。 円覚寺塔頭正続院 「二人は蓮池の前を通り越して、五六級の石段を上って、その正面にある大きな伽藍の屋根を仰いだまま直すぐ左りへ切れた」 そこにあるのが 正続院 。 『門』の主人公・宗助は、老師から・・・ 「父母未生以前本来の面目は何なんだか、それを一つ考えて見たら善かろう」 と言われたそうです。 「宗助には父母未生以前という意味がよく分らなかったが、何しろ自分と云うものは必竟何物だか、その本体を捕まえて見ろと云う意味だろうと判断した」 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆