投稿

9月 19, 2021の投稿を表示しています

「鎌倉殿の13人」寺社・史跡めぐり:伊豆国編

イメージ
1159年(平治元年)12月に起こった 平治の乱 で 平清盛 に敗れた 源頼朝 は、翌年3月11日、伊豆国流罪となります。 鎌倉の武家政権の歴史は、伊豆国から始まります。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 比企尼の宝篋印塔 (函南町:高源寺) 比企尼 は頼朝の乳母。 1180年(治承4年)に頼朝が挙兵するまでの約20年間、生活物資の援助をしました。 頼朝ゆかりの 高源寺 には比企尼の宝篋印塔が建てられています。 比企尼の娘婿の 安達盛長 ・ 河越重頼 ・ 伊東祐清 、甥の 比企能員 なども頼朝の支援者として働いていたものと思われます。 伊豆山神社 (熱海市) 箱根神社 (箱根町) 流人となった頼朝は、走湯権現( 伊豆山神社 )や箱根権現( 箱根神社 )に帰依し、父 義朝 や源氏一門の菩提を弔いながら過ごします。 蛭ヶ小島 (伊豆の国市) 『平家物語』によると、頼朝が流されたのは 蛭ヶ小島 。 ただ、頼朝の行動からすると、はじめは 伊東 で暮らしていたのかもしれません。 頼朝の経塚 (函南町:六萬部寺) 頼朝 が源氏再興を祈願して法華経六萬部を納めた場所なのだと伝えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 伊東祐親像 (伊東市) 伊東祐親 は、伊豆国田方郡伊東荘を本拠としていた武将。 流人頼朝の監視役でした。 音無神社 (伊東市) 伊豆に流された 頼朝 は、やがて 伊東祐親 の娘 八重姫 と結ばれて男子を授かります。 祐親が大番役で在京しているときの出来事でした。 音無神社 が鎮座する「おとなしの森」は、 頼朝 と 八重姫 が逢瀬を重ねたという場所。 日暮八幡神社 (伊東市) 日暮八幡神社 は、頼朝が 八重姫 に会うために日暮れになるのを待ったという「ひぐらしの森」に鎮座します。 授かった子は千鶴丸と名付けられ、三人は幸せな日々を送っていましたが、京から戻った祐親は激怒し、千鶴丸は殺害され、八重姫は江間小四郎に嫁がされてしまいます。 産衣石 (伊東市) 千鶴丸の遺体は、川を下って富戸の海岸に流れ着き、 産衣石 の上に乗せられて着衣を乾かされた後、丁重に葬られたのだと伝えられています。 三島神社 (伊東市) 富戸の 三島神社 には、千