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是非に及ばず~織田信長の言葉:本能寺の変~

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「是非に及ばず」は、 本能寺の変 で自刃した織田信長の最後の言葉として知られています。 一般的に、 本能寺 を包囲された信長が脱出不能と判断し、「仕方がない」という諦めの意味で発した言葉だとされていますが・・・ 実は、「是か非かはどうでもよい。戦え!」という命令だったという説も。 本能寺跡 当時の本能寺は寺町御池ではなく、堀川四条付近にありました。 二条殿址 信長から家督を譲られていた長男の信忠は 二条殿 (二条御所)で自刃。 本能寺 本能寺 は、1592年(天正20年)、豊臣秀吉の命により現在地に移転。

七夕に光源氏が詠んだ歌

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最愛の女性・紫の上を亡くした光源氏は、もう一年に一度の逢瀬も叶わぬことを嘆き悲しみ、七夕の日に涙を流します。 そして、 「たなばたの逢ふ瀬は雲のよそに見て別れのにはに露ぞおきそふ」 とと詠みました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。

小田原開城~豊臣秀吉の小田原征伐~

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1590年(天正18年)、豊臣秀吉による 小田原征伐 が行われ、7月5日、 北条氏直 は降伏。 小田原城 は開城して戦国大名の北条氏は滅亡。 五代当主だった 北条氏直 は助命されますが、四代当主・ 北条氏政 と弟氏照は切腹を命じられています。 小田原北条氏(後北条氏)の初代は 北条早雲 。 早雲が初めて持った城は駿河国の 興国寺城 (1487年(長享元年))。 1491年(延徳3年)には、伊豆国に進出して 韮山城 を居城とします。 韮山城を拠点に相模国へ進出した早雲は、1495年(明応4)、 小田原城 を奪取し、相模国を平定。 その後、北条氏は武蔵、下総、駿河にまで領土を拡げ、三代 氏康 の時代になると、 小田原城 は難攻不落の城と呼ばれるほどの城となります。 1590年(天正18年)の豊臣秀吉の 小田原征伐 時には、城下町を囲む長さ9㎞の 総構 となっていました。

徳川家康の案内で織田信長が見物した源頼朝ゆかりの地~富士裾野~

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1582年(天正10年)3月の 甲州征伐 で武田勝頼を滅ぼした織田信長は、富士山見物をしながら 安土城 に帰還したのだとか。 源頼朝 ゆかりの地も多く訪れています。 信長は頼朝が好きだったのだろうか? それとも頼朝ファンだったといわれる徳川家康が連れて行ったのか・・・ 白糸の滝 1193年(建久4年)、富士裾野の巻狩りを催した 源頼朝 も見た 白糸の滝 。 「この上に いかなる姫や おはすらん おだまき流す 白糸の滝」 井出家の高麗門と長屋 巻狩りで 源頼朝 が仮宿としたのが井出館なのだと伝えられています。 富士山本宮浅間大社 富士山本宮浅間大社 の流鏑馬は、 源頼朝 が巻狩りの際に奉納したことに始まるのだとか。 信長が訪れた時は、 北条氏政 によって焼かれてしまっていたようですが、家康は要害の地にある浅間大社に陣所を建てたのだと伝えられています。 織田信長は、4月12日に 安土城 に帰還しますが、6月2日早朝、滞在していた京都の 本能寺 を明智光秀に攻められ自刃しています( 本能寺の変 )。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

徳川家康と江戸佃島の住吉神社~本能寺の変・伊賀越えの伝説~

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住吉神社 住吉神社 は、摂津国佃島の漁師が祀った社。 伝説によると・・・ 1582年(天正10年)6月2日早朝、京都の 本能寺 では織田信長が明智光秀の謀反で横死するという事件が発生( 本能寺の変 )。 その時、 徳川家康 は摂津国の堺を遊覧中でしたが、信長の死の知らせを受けて、 伊賀越え で三河国の 岡崎城 を目指すことに。 明智軍による残党狩りが始まっている中で、家康の危機を救ったのは摂津国佃村の漁師たち。 摂津国の神崎川を渡る際、佃島の漁師(庄屋)だった森孫右衛門が船を貸してくれたおかげで、三河国の 岡崎城 に帰還できたのだと伝えられています。 後の 小田原征伐 後、関東移封となった家康が 江戸城 に入ると、摂津国佃村の漁師たちも江戸に下ってきたのだとか・・・ その後、江戸幕府から鉄砲洲向かいの干潟を賜った漁師たちが築島したのが江戸佃島。

自邸を清水寺に寄進した坂上田村麻呂

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清水寺 は、778年(宝亀9年)、奈良 興福寺 の延鎮が千手観音像を 音羽の滝 の上に祀ったことに始まります。 798年(延暦17年)7月2日、延鎮に帰依していたという坂上田村麻呂が自邸を仏殿として寄進したのだと伝えられています。 『吾妻鏡』によると、 源頼朝 は、1180年(治承4年)の挙兵の際、三歳のときに 清水寺 から賜った二寸銀の聖観音像を髷の中に納めていたのだといいます(参考: しとどの窟 )。 1189年(文治5年)、頼朝は、その聖観音像を本尊とする持仏堂を建立。 頼朝の死後、持仏堂は法華堂と呼ばれました( 源頼朝墓 )。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鶴岡八幡宮の七夕飾りとハス2023/06/29

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鶴岡八幡宮 の 「七夕まつり」 は、7月1日から7日。 7月2日(日)ハーフムーン 神賑奉納 午後5時~ 7月7日(金)七夕祭神事 午後5時~ 7月1日~7日鈴懸神事 午前10時~午後4時 源平池のハスの花も少しずつ咲き始めています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆