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伝説の長谷観音~四万六千日:長谷寺~

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古くは「朝詣り」とも呼ばれた 「四万六千日詣り」 。 8月10日にお詣りすると4万6千日の間お詣りしたのと同じご利益があるだとか。 かつて、三浦半島の人たちは、夜明け前から提灯を下げ、名越の山を越えて、 杉本観音 、 長谷観音 、 田代観音 を巡り、最後に逗子の 岩殿寺 を巡って帰宅したのだといいます。 長谷観音 長谷寺 の本尊 十一面観音像 は、木造では日本最大級。 板東観音巡礼 四番札所。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 長谷寺を開いたのは徳道。 721年(養老5年)、諸国を巡っていた徳道は、大和国で巨大なクスノキを発見します。 徳道は、このクスノキで二体の観音像を造らせました。 一体は大和国の長谷寺に安置されますが、もう一体は「有縁な地に行って、衆生済度を施したまえ」ということで、行基によって大阪の海から流されました。 それから歳月が流れ、16年目の736年(天平8年)になって三浦半島の長井浜に漂着したのだといいます。 その後、鎌倉に観音堂が建てられ、新長谷寺と称されたのだと伝えられています。 長谷寺の十一面観音像は、「長谷寺式」とも呼ばれ、右手に錫杖を左手に蓮華を持った独特な像です。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ かきがら稲荷 海に流された観音さまは、体に付着した牡蠣殻(かきがら)の導きで長井浜に流れ着いたのだといいます。 長谷寺には、観音さまのお導きがあるようにと、 かきがら稲荷 が祀られています。 📎牡蠣殻に導かれてやってきた観音さま ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 長谷寺の 四万六千日 では、本尊御姿のお札が配られます。 8月10日は朝詣り ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 夏休み鎌倉計画! 夏休み江の島計画!

伝説の田代観音!~四万六千日:安養院田代寺~

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古くは「朝詣り」とも呼ばれた 「四万六千日詣り」 。 8月10日にお詣りすると4万6千日の間お詣りしたのと同じご利益があるだとか。 かつて、三浦半島の人たちは、夜明け前から提灯を下げ、名越の山を越えて、 杉本観音 、 長谷観音 、 田代観音 を巡り、最後に逗子の 岩殿寺 を巡って帰宅したのだといいます。 田代観音 安養院 は、比企ヶ谷にあった田代観音堂が移されたことから、「田代寺」と呼ばれています。 田代観音堂は、 源頼朝 に仕えた 田代信綱 が、1192年(建久3年)創建したと伝えられる寺院。 板東観音巡礼 三番札所。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~宋からの観音像~ 安養院 の 千手観音 は、 田代信綱 が建てた観音堂の本尊だった像で、胎内に信綱の守り本尊だった観音像を納めた像であることから、「田代観音」と呼ばれています。 田代信綱の観音像は・・・ 986年(寛和2年)、 東大寺 の僧・奝然(ちょうねん)が宋に渡ったときに手に入れたものなのだそうです。 参考までに・・・ 奝然は、京都の 清凉寺 に伝わる 三国伝来の釈迦如来 を持ち帰った事で知られています。 鎌倉の 極楽寺 の本尊 清凉寺式釈迦如来 は、清凉寺の三国伝来の釈迦如来を模刻したものです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ その後・・・ 奝然が宋より持ち帰った観音像は、後三条天皇から第三皇子の輔仁親王→その子の花園左大臣有仁卿→その子の伊豆国司中納言為綱卿→その子の田代信綱に伝わったといわれています。 したがって、信綱は後三条天皇の後胤ということになります。 1180年(治承4年)、 源頼朝 が 挙兵 をすると、信綱はこれに従い、戦陣に向かうときは、必ずこの観音像を携えていたのだといいます。 田代信綱の五輪塔 (伊豆市田代の田代砦跡) 8月10日は朝詣り ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 夏休み鎌倉計画! 夏休み江の島計画!

伝説の杉本観音!~四万六千日:杉本寺~

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古くは「朝詣り」とも呼ばれた 「四万六千日詣り」 。 8月10日にお詣りすると4万6千日の間お詣りしたのと同じご利益があるだとか。 かつて、三浦半島の人たちは、夜明け前から提灯を下げ、名越の山を越えて、 杉本観音 、 長谷観音 、 田代観音 を巡り、最後に逗子の 岩殿寺 を巡って帰宅したのだといいます。 杉本観音 鎌倉最古の寺といわれる 杉本寺 は、731年(天平3年)、関東地方で布教していた行基が、自ら彫刻した観音像を安置したことに始まり、観音さまのお告げを受けたという光明皇后が、734年(天平6年)、本堂を建立したのだと伝えられています。 「大倉観音」「下馬観音」「覆面観音」とも呼ばれています。 板東観音巡礼一番札所。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~火事に遭った杉本観音~ 『吾妻鏡』によると・・・ 1189年(文治5年)11月23日夜、大倉観音堂(杉本寺)が火事に遭います。 別当の浄台房は、観音像を運び出すため、火の中に入っていきました。 誰もが死んでしまうだろうと思っていましたが、観音像を運び出すことに成功したのだといいます。 法衣は焦げていましたが、身体はなんともなかったそうです。 観音さまは火にも焼かれないということでしょうか。 といったことが記録されています。 『杉本寺縁起』では・・・ 火事に遭った観音さまは、杉の木の下に避難したのだと伝えています。 そして、人々は「杉本観音」と呼ぶようになったのだとか・・・。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~下馬観音・覆面観音~ 杉本寺 の観音さまは、寺の前を馬に乗ったまま通ると落馬するので「下馬観音」とも呼ばれていたといいます。 そこで、 蘭渓道隆 が祈願し、袈裟で観音さまを覆ったところ、落馬がなくなったことから、「覆面観音」とも呼ばれていたそうです。 御影 杉本寺 の本尊は、行基・慈覚・恵心作の三体の十一面観音像(三尊同殿)。 伝説のもととなったのは行基作の観音像。 杉本寺で授与して頂ける御影は、行基作の観音像に袈裟がかけられています。 8月10日は朝参り ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 夏休み鎌倉計画!

鎌倉:極楽寺山門前のフヨウ2019/08/06

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極楽寺の山門前の フヨウ 。 まだ蕾が多いので、これからが見頃なのかと・・・ 秋になると ハギ が咲きます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 8月10日の鎌倉は功徳の日! ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 夏休み鎌倉計画!