別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2019年8月8日木曜日

伝説の田代観音!~四万六千日:安養院田代寺~

古くは「朝詣り」とも呼ばれた「四万六千日詣り」

8月10日にお詣りすると4万6千日の間お詣りしたのと同じご利益があるだとか。

かつて、三浦半島の人たちは、夜明け前から提灯を下げ、名越の山を越えて、杉本観音長谷観音田代観音を巡り、最後に逗子の岩殿寺を巡って帰宅したのだといいます。



 安養院


安養院は、比企ヶ谷にあった田代観音堂が移されたことから、「田代寺」と呼ばれています。

田代観音堂は、源頼朝に仕えた田代信綱が、1192年(建久3年)創建したと伝えられる寺院。

板東観音巡礼三番札所。


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~宋からの観音像~

安養院千手観音は、田代信綱が建てた観音堂の本尊だった像で、胎内に信綱の守り本尊だった観音像を納めた像であることから、「田代観音」と呼ばれています。

田代信綱の観音像は・・・

986年(寛和2年)、東大寺の僧・奝然(ちょうねん)が宋に渡ったときに手に入れたものなのだそうです。

参考までに・・・

奝然は、京都の清凉寺に伝わる三国伝来の釈迦如来を持ち帰った事で知られています。

鎌倉の極楽寺の本尊清凉寺式釈迦如来は、清凉寺の三国伝来の釈迦如来を模刻したものです。


 安養院


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その後・・・

奝然が宋より持ち帰った観音像は、後三条天皇から第三皇子の輔仁親王→その子の花園左大臣有仁卿→その子の伊豆国司中納言為綱卿→その子の田代信綱に伝わったといわれています。

したがって、信綱は後三条天皇の後胤ということになります。

1180年(治承4年)、源頼朝挙兵をすると、信綱はこれに従い、戦陣に向かうときは、必ずこの観音像を携えていたのだといいます。



(伊豆市田代の田代砦跡)



8月10日は朝詣り
 四万六千日

 鎌倉検定


 安養院






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 ぼんぼり祭

 黒地蔵縁日

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