投稿

藤沢:弥勒寺

イメージ
弥勒寺は、地名にもなっている古い寺。 1226年(嘉禄2年)、三代執権 北条泰時 によって創建された法泉寺(禅寺)を前身としています。 元弘の乱(参考: 鎌倉幕府の滅亡 )の兵火で全山が焼失し、本尊の弥勒如来だけが残されました。 その後も、何度か再建され、1573年(天正9年)には、日祐によって再興されて日蓮宗に改宗されています。

源頼朝の夜伽を妻に命じた葛西清重

イメージ
葛西清重の墓 葛西清重は、桓武平氏の血をひく豊島清元(清光)の三男。 母は秩父氏の出。 葛西御厨を相続して葛西氏を名乗ります。 1180年(治承4年)8月17日、 源頼朝 が 挙兵 。 石橋山の戦い では負けてしまった頼朝でしたが、安房国へと渡り、軍勢を整えて鎌倉を目指します。 清重は、10月2日、鎌倉へと進軍する頼朝軍に加わりました。 『吾妻鏡』によると・・・ 1180年(治承4年)11月10日、佐竹征伐を終えた源頼朝は、その帰路、葛西清重の屋敷に宿泊します。 清重は妻に配膳させるのですが、頼朝には妻だとは言わず、よそから未婚の女性をご用意したと伝えたのだとか。 頼朝の夜伽を妻に命じたということなのでしょう・・・ 西光寺 葛飾区四ツ木にある西光寺は、清重の創建で、その居館跡に建てられたとされています。 清重稲荷

長谷寺縁起絵巻の特別公開~鎌倉:長谷寺~

イメージ
『長谷寺縁起絵巻』 は、奈良長谷寺の草創と十一面観音造立の由来を描いたもの。 残念ながら、この絵巻には鎌倉の長谷寺の記述はないのですが、鎌倉には牡蠣殻と観音様の伝説が残されています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~かきがらに導かれてやって来た観音さま~ 721年(養老5年)、開山の徳道は稽文会(けいもんえ)と稽主勲(けいしゅくん)という二人の仏師に依頼して二体の十一面観音をつくりました。 一体は大和(奈良)の長谷寺に安置され、もう一体は海に流されました。 海に流された観音像は、736年(天平8年)、相模国三浦郡の長井浜に漂着します。 その像が鎌倉に祀られ、長谷寺のはじまりとなったのだと伝えられています。 かきがら稲荷 観音像は、体に付着した牡蠣殻(かきがら)の導きで長井浜に流れ着いたのだといいます。 かきがら稲荷 は、観音さまのお導きがあるようにと祀られているものです。 📎長谷観音の伝説~かきがらに導かれてやって来た観音さま~ かきがら稲荷 https://www.yoritomo-japan.com/hasedera-kakigara.htm 長谷寺 https://www.yoritomo-japan.com/page136hasedera.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

湘南キャンドル2018~江の島フェスティバル~

イメージ
9月15日から開催されている 江の島フェスティバル~江no・Fes~ のラストを飾るのは、約8000基のキャンドルが彩る 「湘南キャンドル」 。 10月22日(月)から11月4日(日)まで。 17:00~20:00. 場所は 江の島サムエルコッキング苑 。 江の島 https://www.yoritomo-japan.com/enosima.htm

源義経・弁慶ゆかりの鎌倉:満福寺

イメージ
満福寺 満福寺 は、源平合戦の英雄・ 源義経 と弁慶ゆかりの寺。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 義経 は、 平治の乱 が起こった1159年(平治元年)に京都で誕生。 父は 源義朝 、母は 常盤御前 。 幼名は牛若。 平治の乱 で父 義朝 が敗れると、母 常盤 や兄二人(今若・乙若)と大和国へ逃れますが、のちに京都へ戻り、11歳のときに 鞍馬寺 に入ります。 しかし、出家することを嫌い、1174年(承安4年)、16歳で 奥州平泉 へ下り藤原秀衡を頼ります。 そして、1180年(治承4年)、兄 頼朝 が挙兵すると、わずかな郎党を引き連れ頼朝のもとへ参じます(黄瀬川の対面・参考: 八幡神社 )。 その後、兄 範頼 とともに、1184年(元暦元年)1月に 木曽義仲 を滅ぼし、同年2月、 一ノ谷 で平家を破り、翌1185年(元暦2年)2月には、平家が本拠としていた 屋島 を奇襲して、同年3月24日、 壇ノ浦 で平家を滅亡させました。 しかし、無断で後白河法皇より任官されるなどの問題を起こして頼朝と対立し、逃亡生活を送ることとなります。 1187年(文治3年)、再び 奥州平泉 の藤原秀衡を頼りますが、秀衡死後の1189年(文治5年)、藤原泰衡に攻められ 衣川館 で自刃しました。 義経の首は、鎌倉の 腰越の浜 まで運ばれ、首実検が行われた後、藤沢の 白旗神社 付近に葬られたと伝えられています。 腰越状 1185年(元暦2年)、 壇ノ浦 で平家を滅ぼした 義経 は、捕らえた平宗盛父子を護送して鎌倉へ凱旋しようとしますが、頼朝は鎌倉に入ることを許さないという厳しい措置をとりました。 この措置は、 梶原景時 による讒言によるものが大きいといわれますが、義経への不満については兄の 範頼 からも寄せられていたようです。 「腰越状」 は、義経が頼朝の側近 大江広元 あてに送った弁明書です。 満福寺 https://www.yoritomo-japan.com/page139manpukuji.htm 満福寺 の門前には 江ノ電 が走ります。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

秋の「かまくら長谷の市」は10月21日。

イメージ
かまくら長谷の市 は、長谷の商店会の主催で春と秋に開催されているイベントです。 このリーフレットをゲットして楽しもう! 江ノ電の駅や参加店で配布されています。 メイン会場 長谷寺 https://www.yoritomo-japan.com/page136hasedera.htm 朝市 甘縄神明神社 https://www.yoritomo-japan.com/page136amanawa.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆