葛西清重は、桓武平氏の血をひく豊島清元(清光)の三男。
母は秩父氏の出。
葛西御厨を相続して葛西氏を名乗ります。
1180年(治承4年)8月17日、
源頼朝が
挙兵。
石橋山の戦いでは負けてしまった頼朝でしたが、安房国へと渡り、軍勢を整えて鎌倉を目指します。
清重は、10月2日、鎌倉へと進軍する頼朝軍に加わりました。
『吾妻鏡』によると・・・
1180年(治承4年)11月10日、佐竹征伐を終えた源頼朝は、その帰路、葛西清重の屋敷に宿泊します。
清重は妻に配膳させるのですが、頼朝には妻だとは言わず、よそから未婚の女性をご用意したと伝えたのだとか。
頼朝の夜伽を妻に命じたということなのでしょう・・・
葛飾区四ツ木にある西光寺は、清重の創建で、その居館跡に建てられたとされています。