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2017伊勢原観光「道灌まつり」~今年は50回記念~

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太田道灌公鷹狩り行列 平成29年の 道灌まつり は、10月14日(土曜日)、15日(日曜日)。 ★太田道灌公鷹狩り行列 ★北条政子日向薬師参詣行列 太田道灌公役は北村有起哉さん。 北条政子役は高野志穂さん。 行列は10月15日(日)午後12時20分から (桜台交差点→国道246号→おまつり広場) ★信州諏訪御柱里曳き行 姉妹都市の茅野市からの元綱と茅野市で伐り出されたモミの大木を使用して行われるようです。 10月15日(日)午後1時30分から (国道246号→駅北口広場) ※ 詳しいプログラムは 伊勢原市HP で。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 太田道灌 (伊勢原市:大慈寺) 太田道灌は戦国時代に 扇谷上杉家 の家宰を務めた武将。 相模国粕谷の出身と考えられています(現在の伊勢原市)。 扇谷上杉家 の家名を高める働きをしましたが、主君の上杉定正の粕谷館で暗殺されてしまいました。 伊勢原市内には 大慈寺 と 洞昌院 に道灌の墓が残されています。 参考までに、鎌倉の 英勝寺 は道灌の旧蹟に建てられた寺。 英勝寺の裏山にも 道灌の首塚 があります。 道灌の鷹狩りで知られているのは ヤマブキの伝説 です。 太田道灌の墓 (大慈寺) 道灌塚 (洞昌院) 英勝寺 (鎌倉) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 北条政子 (鎌倉:安養院) 北条政子 は 源頼朝 の妻。 日向薬師 は、次男実朝誕生の際には安産祈願所に、長女大姫の病気の際には治癒祈願所となりました。 政子自身も1210年(承元4年)6月8日、翌1211年(建暦元年)7月8日に参詣しています。 日向薬師 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 江戸時代に盛んにおこなわれた大山詣。 招福除災を祈願して木太刀を奉納する風習がありました(納め太刀)。 源頼朝 が 大山寺 に「武運長久」を祈願して太刀を奉納したことに始まりのだと伝えられています。

鎌倉と刀工芸~引き継がれる名工正宗の技術~

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刃稲荷 日本の刀剣史上で著名な五入道正宗は、師の新藤五国光が創始した「相州伝」という作風を完成させた鎌倉時代から南北朝期にかけて活躍した鍛冶職人(刀工)。 その門下には貞宗など多くの名工がいました。 扇ヶ谷にある 刃稲荷 は、正宗の屋敷に祀られていたという稲荷社。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉の海では砂鉄が採取できた! 砂鉄の浜 七里ヶ浜 の砂は、砂鉄を多く含んでいることで知られていました。 『新編鎌倉志』 には「鉄砂(くろがねずな)あり、黒き事漆の如し」と記されているようです。 今でも 稲村ヶ崎 付近の砂浜は黒く光っています。 鎌倉で鍛冶産業が盛んになったのは、 七里ヶ浜 で採れる砂鉄があったからといわれています。 正宗が七里ヶ浜の砂鉄を使ったのかどうかは分かりませんが・・・ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~日蓮に付けてもらった名~ 五郎入道正宗の墓 (本覚寺) 正宗という名は・・・ 佐渡流罪を許されて、 夷堂 で布教活動をしていた 日蓮 に付けてもらったものだといいます。 正宗の生没年は不明のようですが、この伝説によれば、 日蓮 が鎌倉にいた1274年(文永11年)頃に生まれたということでしょうか。 法名は「心龍日顕」 正宗の法名は「心龍日顕」。 本覚寺 の宝篋印塔には、「戌子正月11日 心龍墓 俗名正宗」と刻まれています。 戌子の年とは、 日蓮 の伝説からすると・・・1348年(南北朝期)ということになるのでしょうか・・・? ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~綱廣を名乗った正宗の子孫~ 戦国時代になって関東の中心が小田原に移ると、鍛冶職人も小田原へと移住していきます。 しかし、正宗の子孫は鎌倉に住みつき、十一代目の子孫は 北条氏綱 の一字をもらって「綱廣」を名乗り、無量寺ヶ谷に土地も与えられたのだと伝えられています。 合鎚稲荷社の跡 (鎌倉歴史文化交流館) 刀工・綱廣の屋敷にあったという合鎚稲荷社の跡。 鎌倉歴史文化交流館 の裏山にあります。 昭和60年に発行された沢寿郎先生の『知られざる鎌倉』には、「15、6年前まで「正宗稲荷」の祠があったものです」と書かれています。 『知られざる鎌倉』には、正宗稲荷

鎌倉の民俗芸能~鎌倉木遣唄・鎌倉神楽・鎌倉天王唄~

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~鎌倉木遣唄~ 鎌倉木遣唄は、鎌倉鳶職組合木遣唄保存会によって伝承され、毎年1月4日、 鶴岡八幡宮 境内で行われる 手斧始式 で御神木が二の鳥居から舞殿まで運ばれる時に歌われている。 手斧始式 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉神楽~ 鎌倉神楽は湯立神楽、湯花神楽ともいわれ、除災・招福を祈るために、山飾りを立て、その「山」の内で舞う。 「湯立神楽」又は「湯花神楽」といわれる由縁は、釜で湯を煮えたぎらせ、その湯を使って神事を執り行うところにあります。 八雲神社の初神楽 材木座海岸の潮神楽 御霊神社の鎌倉神楽 丸山稲荷社の火焚祭 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉天王唄~ 鎌倉天王唄は、 源頼朝 が 鶴岡八幡宮 を造営・再建する時、海上輸送された多くの材木を 材木座海岸 から境内まで運ぶ際に歌われていたと伝えられている。 天王唄 (材木座海岸汐まつり) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~飴屋踊り~ 飴屋踊りは、行商などの人たちが鎌倉と三浦を行き来するうち自然に伝えられたようで、 その名は、飴を売りながらその踊りを踊ったことに由来するとされる。 拍子木、四つ竹などの鳴り物に合わせて、派手な着物を着て踊る。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉の国と神奈川県の文化財(建造物)

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鎌倉の建造物で国及び県の指定を受けている文化財。 写真をクリック・タップすると情報ページへ移動します。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~国宝~ 円覚寺舎利殿 ~国指定重要文化財~ 鶴岡八幡宮大鳥居 鶴岡八幡宮末社丸山稲荷社本殿 鶴岡八幡宮摂社若宮 鶴岡八幡宮上宮 建長寺仏殿 建長寺昭堂 建長寺唐門 建長寺山門 建長寺法堂 浄光明寺五輪塔 安養院宝篋印塔 旧一条恵観山荘 旧石井家住宅 光明寺本堂 荏柄天神社本殿   英勝寺仏殿 英勝寺山門 英勝寺鐘楼   英勝寺 祠堂 英勝寺祠堂門 これらの外、建長寺大覚禅師塔・覚園寺開山塔・覚園寺大燈塔・極楽寺忍性塔・極楽寺五輪塔が重要文化財に指定されている。 ・・・・・・・・・・ ~神奈川県指定有形文化財~ 長勝寺法華堂 建長寺西来庵唐門 杉本寺観音堂 常楽寺仏殿 円覚寺山門 光明寺山門 旧神奈川県立近代美術館鎌倉館本館 これらの他に、覚園寺本堂(薬師堂)、旧内海家住宅が県の有形文化財に指定されている。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆