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運慶の仏像公開(3月3日)・・・横須賀:浄楽寺

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横須賀市芦名の 浄楽寺 は 和田義盛 の建立と伝えられる寺。 本尊の「木造阿弥陀如来及両脇侍像」、「木造不動明王・毘沙門天立像」は 義盛 の発願で 運慶 が造立したものと判明しています。 運慶の仏像 https://www.yoritomo-japan.com/jyorakuji-yokosuka-unkei1.htm 運慶の仏像は、毎年3月3日と10月19日に公開されています。 浄楽寺 https://www.yoritomo-japan.com/jyorakuji-yokosuka.htm 「JR逗子駅」から長井方面行きバス「浄楽寺」下車 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ~参考~ 運慶の仏像がある寺 運慶 は奈良の 興福寺 を拠点に活躍した仏師。 興福寺南円堂 の本尊:不空羂索観音菩薩像・ 北円堂 の本尊:木造弥勒菩薩坐像、木造無著・世親菩薩立像は運慶の作。 東大寺南大門 の金剛力士像は、その代表作として知られています。 神奈川県では、 浄楽寺 の諸仏の他、横浜市金沢区・ 称名寺 の 大威徳明王像 が運慶作と判明しています。 静岡県伊豆の国市の 願成就院 の本尊阿弥陀如来像、毘沙門天・不動明王・矜羯羅童子・制咤迦童子の諸像も運慶作です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2015:まんだら堂やぐら群・春の公開

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まんだら堂やぐら群 が公開されます。 まんだら堂やぐら群 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kodou-5mandarado.htm 公開期間 平成27年2月28日(土)から3月23日(日)の間の月・土・日・祝日のみ。 公開時間 10:00~16:00 より大きな地図で まんだら堂やぐら群 を表示 JR逗子駅 から・・・亀が岡団地循環バス(6番乗り場) 「緑ヶ丘入口」下車徒歩8分 または 「亀が岡団地北」下車徒歩5分 JR鎌倉駅 から・・・緑ヶ丘入口行バス(3番乗り場) 「緑ヶ丘入口」下車徒歩8分

クジラを飼う夢・・・クジラ博士:中島將行先生と江の島マリンランド

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新江ノ島水族館は、1957年(昭和32年)に日本の映画界の基礎をつくった日活の堀久作社長が建てた「江ノ島マリンランド」を前身としています。 「江ノ島マリンランド」の開業に関わった一人にクジラ博士と呼ばれる中島將行先生がいらっしゃいます。 中島先生は、1948年(昭和23年)、農林省水産講習所(現在の東京海洋大学)在籍中に捕鯨船に乗り込み、南氷洋上で初めてクジラと対面。 以来、クジラを飼う夢を見ていたそうです。 そんな中島先生に1956年(昭和31年)、「江ノ島でクジラを飼う」という計画が飛び込んできました。 建設予定地の片瀬西浜には「鯨大放養池建設地」という看板が立てられていたそうです。 この「鯨大放養池」というのが、翌年5月にオープンする予定の「江ノ島マリンランド」でした。 中島先生をクジラの飼育に誘ったのは日本鯨類研究所の西脇昌治先生だったそうです。 中島先生らは、海外でクジラの飼育方法などを学び準備を進めていましたが・・・ 肝心のクジラがみつかりません。 藤沢の飛行場から飛行機を飛ばして探したり、漁船に乗り込んで探したりしたそうです。 それでもクジラを準備することが出来ないでいました。 そんな中島先生のもとへ「定置網にカマイルカが三頭かかった」という知らせが入ります。 この三頭のイルカがクジラの代わりに江ノ島マリンランドのプールに放たれたのです。 こうして江ノ島マリンランドは、1957年(昭和37年)5月3日にオープンしたそうです。 (中島將行先生のお話より) 中島將行先生所有のクジラの標本 ★クジラ博士:中島將行先生逝く2016/01/27 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 江の島 https://www.yoritomo-japan.com/enosima.htm 江ノ電で鎌倉巡り https://www.yoritomo-japan.com/enoden.htm

府中高安寺の山門

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山門 1872年(明治5年)の建立 (東京都選定歴史的建造物) 仁王(吽形像) 仁王(阿形像) 地蔵尊 奪衣婆 木鼻の彫刻は迦陵頻伽(かりょうびんが)は、上半身が人で下半身が鳥の仏教における想像上の生物。 高安寺 の迦陵頻伽は音楽を奏でている姿です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高安寺 https://www.yoritomo-japan.com/futyu/futyu-koanji.html

府中:高安寺

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高安寺 は 足利尊氏 が全国に建立した 安国寺 の一つ。 山門 1872年(明治5年)の建立 (東京都選定歴史的建造物) 鐘楼 1856年(安政3年)の建立 (東京都選定歴史的建造物) 本堂 1803年(享和3年)の建立 (東京都選定歴史的建造物) 秀郷稲荷大明神 藤原秀郷を祀る社 弁慶硯の井戸 源義経と弁慶の伝説 観音堂 江戸中期の建物 (府中市重要文化財) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 高安寺 https://www.yoritomo-japan.com/futyu/futyu-koanji.html

鎌倉:大寶寺の多福稲荷大明神

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大寶寺 は、 新羅三郎義光 の鎌倉館があった場所。 義光 は、兄 八幡太郎義家 を助勢するため、検非違使の職を辞して後三年の役に参陣して奥州の争乱を鎮めました。 のちに甲斐守に任ぜられた 義光 は、ここを鎌倉館と定めたのだといいます。 大寶寺 の境内にある多福稲荷大明神は、 義光 の守護神。 後三年の役に勝利を収めることができたのは、多福稲荷大明神の御加護があったからとして 義光 が勧請したものと伝えられています。 一時、 八雲神社 に合祀されますが、1499年(明応8年)、 妙法寺 の日證により、大寶寺に再勧請されました。 以後、 大寶寺 の鎮守として、開運勝利の神として信仰されています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 大寶寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page126daihoji.htm

鶴岡八幡宮の漢竹と大国魂神社の矢竹・・・源頼朝の伝説

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鶴岡八幡宮の呉竹・漢竹 鶴岡八幡宮 の 神苑ぼたん庭園 の「呉竹・漢竹」は、 京都御所 「清涼殿」の庭の源氏垣を模したものなのだそうです。 そして、「漢竹」(写真右)は府中の 大国魂神社 の「矢竹」が株分けされたもの。 大国魂神社の矢竹 大国魂神社 の「矢竹」は、 源頼朝 が戦勝祈願をした際に、挿した竹の矢が根付いたものといわれています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・