投稿

「特別展東大寺」・・・神奈川県立金沢文庫

イメージ
神奈川県立金沢文庫 で「特別展 東大寺」が始まりました。 平重衡に焼かれた 東大寺 の復興の歴史を学ぶことができます。 重源 ・後白河法皇・ 源頼朝 。 東大寺 の復興には、当時の実力者が関わりました。 そして、復興の目途としての仕上げは、 運慶 らによる 金剛力士像 の造立です。 「特別展 東大寺」は12月1日まで。 ★特別展 「東大寺-鎌倉再建と華厳興隆-」 ・・・金沢文庫 ★南都焼討と東大寺の再興~重源と源頼朝~ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 東大寺

建長寺と心平寺

イメージ
『吾妻鏡』によれば、1253年(建長5年)11月25日、 建長寺 の落慶供養が行われました。 1251年(建長3年)に事始めが行われたということですが、実際は1249年(建長元年)頃から準備が進められていたといいます。 建長寺 建長寺 が建てられた地は処刑地だったといわれ、処刑された者の鎮魂のために 心平寺 が建てられていました。 心平寺 が創建されたのは1249年(建長元年)。 同年、 建長寺 の建立が計画されていました。 のちに 建長寺 の開山に迎えられる 蘭渓道隆 も、この年、 常楽寺 からこの地に移っているといいます。 心平寺 を建立し、それから 建長寺 を建立したのには何か深い意味があったのでしょう。 建長寺 の本尊が地蔵菩薩であるのは、 心平寺 の本尊が地蔵菩薩であったからだといわれています。 心平寺地蔵堂 (横浜三溪園:天授院) 心平寺 の本尊は、 建長寺仏殿 の脇壇に安置されている地蔵菩薩坐像だと伝えられています。 この像の胎内には、無実の罪で処刑されそうになった済田左衛門の身代わりとなった 地蔵菩薩の小像 が納められていました。 そして、 建長寺 が創建されると 小像 は仏殿本尊の胎内に移されたのだといいます。 ※横浜の 三溪園 にある天授院は心平寺跡にあった堂を移築したもの。

鎌倉:円応寺のキンモクセイ2013/10/06

イメージ
円応寺 の仏殿前の キンモクセイ が見事に咲いています。 円応寺のキンモクセイ

富士の清水湧玉池・・・富士山本宮浅間大社

イメージ
富士山本宮浅間大社 の 湧玉池 は国の特別天然記念物。 透き通った水 湧玉池 は、 富士山 の伏流水が湧き出して出来た池。 かつては、登山者がこの湧き水で身を清めたといいます。 神幸橋 神路橋と神路枚橋 透き通った水 厳島神社 稲荷神社 水屋神社 富士山本宮浅間大社 (世界文化遺産) 世界文化遺産「富士山」 ~信仰の対象と芸術の源泉~

富士山本宮浅間大社と遷宮の儀を執り行った北条義時

イメージ
『吾妻鏡』によれば、1223年(貞応2年)6月20日、 北条義時 は、 「富士浅間の宮」 の「遷宮の儀」を執り行ったといいます。 富士山本宮浅間大社 『北条九代記』によれば・・・ 孝霊天皇が即位して5年目に近江の琵琶湖が水をたたえ、その日に富士山がわき出しました。 863年(貞観5年)秋8月、富士山頂に天空から白衣の神女が舞い降り、それからこの宮での神事が始まったのだといいます。 祭神は、伊豆の 三嶋明神 の「大山祗神」(おおやまつみのかみ)の娘である「木花開耶姫」(このはなさくやひめ)。 この祭神の御加護は遠く国内に至らぬ所なく、その御威光は日本全国に及び、朝方参拝すれば夕方には願がかなってそのお礼参りをするほどだったそうです。 ということで、 北条義時 は深々とおじぎをして、国家の安全を祈願して、遷宮の儀を執り行ったのだと伝えられています。 世界文化遺産「富士山」 ~信仰の対象と芸術の源泉~

鎌倉津の餅搗唄・・・腰越みなとまつり

イメージ
津に伝わる餅搗唄。 「腰越みなとまつり」 で餅つきの実演が行われていました( 腰越漁港 )。 津餅搗保存会の皆さんによる実演です。 唄は1つではないようです。 搗かれた餅はからみ餅とあんころ餅に。 そして、来場者に配られていました。 ・・・・・・・・・・・ 腰越漁港

2013秋の一般公開・・・旧華頂宮邸・旧川喜多邸別邸・大佛次郎茶亭

イメージ
旧華頂宮邸 ・ 旧川喜多邸別邸 ・ 大佛次郎茶亭 が特別公開されます。 旧川喜多邸別邸 川喜多長政は、ヨーロッパ映画を日本に紹介した映画事業家。 鎌倉市川喜多映画記念館の奥にあります。 10月5日(土)・6(日) 10:00~16:00 大佛次郎茶亭 作家大佛次郎の書斎として使用された建物 10月5日(土) 10:00~16:00 旧華頂宮邸 洋館内部を見学することができます。 10月5日(土)・6(日) 10:00~15:00 旧華頂宮邸奥の旧松崎和館