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鎌倉:桜開花情報・・・成就院・光則寺2013/03/22

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成就院 と 光則寺 門前の桜。3月22日午前中の様子。 午後にはさらに開花しているでしょうから、土・日は見頃になるかもしれません。 成就院 門前の桜と 海の景色 を楽しむことが出来ます。 縁結び不動明王 成就院 は 縁結び不動明王 で知られる寺。 剣を持った腕が恋人と腕を組んでいるときの形になっているのだとか・・・。 光則寺 光則寺 の門前では、 ソメイヨシノ ・ アメリカ桃 ・ 枝垂れ桜 が共演しています。 本堂前では カイドウ も咲き始めています。 24日(日)には、「さくら縁日」が開催されるようですが、見頃となっている事でしょう。 ★花見計画の参考に・・・ 鎌倉の桜情報 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉:桜の名所 鎌倉手帳

2013鎌倉:桜開花情報・・・段葛・源氏池・円覚寺

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このところ汗ばむ陽気が続いていましたが、昨日(3月21日)の鎌倉はやや気温が下がり、今日の最高気温は18℃の予報。 加速し続けていた桜の開花も少し速度を落としたかもしれません。 鶴岡八幡宮の 「段葛」 や 「源氏池」 の桜は、昨日(3月21日)現在で2~3分咲きといったところでしょうか。 段葛 源氏池 源氏池は工事作業のため水が抜かれています。 満開になる頃には水が入るのでしょうか・・・。 入れてくれないと名物の水面に映る桜を見ることができません。 (わがままを言ってはいけないのですが・・・) 北鎌倉の 円覚寺 では、一部の桜が見頃となっていますが、山門前の桜は満開までにもう少しといったところでしょうか。 円覚寺 今日、明日でどのくらい開花するでしょう・・・日曜日は冷たい雨ということで心配ですが・・・。 ★花見計画の参考に・・・ 鎌倉の桜情報 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉:桜の名所 鎌倉手帳

芥川龍之介の小説『羅生門』

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芥川龍之介の『羅生門』は、平安京の朱雀大路の南端にあった 羅城門 を舞台とした小説。 ある男が、仕えていた家を解雇され、盗人にでもなろうとしたのだが、その勇気も出ずに羅城門(羅生門)で途方に暮れていると、羅城門(羅生門)の上層で老婆が松明を灯し、女の死骸から髪の毛を抜いているのを見た。 (正義の勇気) 男は、その老婆の行動に憎悪を覚え、刀を抜いて老婆に襲いかかり、老婆の骨と皮ばかりの腕をつかんで、「何をしていた」と問いただした。 (生きるための行動) すると老婆は、「この髪を抜いて鬘(かつら)にしようと思った」と答えた。 さらに・・・ 「死人の髪の毛を抜くというのは悪いことかもしれない。だが、生きるためには仕方のないこと。 この女だって生前は、蛇の干物を干魚だと偽って売っていた。これも生きるためには仕方のないこと。 きっとこの女は髪の毛を抜いたことを許してくれるだろう」 と言う。 (悪になる勇気) それを聞いた男は、盗人になる勇気を持ち、老婆から着物を剥ぎ取り、「己もこうしなければ、餓死をする体なのだ」と言って闇の中へ消えていった。 その後の男の行方は誰もしらない。 というのが小説『羅生門』の内容。 平安時代の荒れた状況と、人間の利己主義を描いた傑作です。 羅城門 羅城門 は、平安京の朱雀大路の南端にありました。 都が地震、竜巻、火災、飢饉などの影響で荒れていく中、 羅城門 は死体の捨て場となっていたといいます。 平安京遷都時には、 羅城門 の東西には王城鎮護の寺として 東寺 と 西寺 が設置されました。 しかし、今残されているのは 東寺 のみです。 東寺 https://www.yoritomo-japan.com/nara-kyoto/touji/touji.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。

見頃!鎌倉:妙本寺の桜2013/03/21

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妙本寺 の 二天門 横の ソメイヨシノ は、満開といっていいでしょう。 開いていない蕾がたくさんありますので、まだまだ美しい景色になります。 祖師堂 前では カイドウ も咲き始めています。 ★花見計画の参考に・・・ 鎌倉の桜情報 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉:桜の名所 鎌倉手帳

見頃!鎌倉:本興寺の枝垂れ桜2013/03/21

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本興寺 の 枝垂れ桜 が見頃です。 まだ蕾がたくさんありますので、もっときれいになると思います。 ★花見計画の参考に・・・ 鎌倉の桜情報 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉:桜の名所 鎌倉手帳

鎌倉の蓮華寺と光明寺~誰がいつ創建したのか・・・~

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材木座の 光明寺 は、浄土宗関東総本山で 良忠 の開山です。 良忠 は、浄土宗開祖法然の弟子で、浄土宗第三祖と仰がれ、鎌倉での活動により浄土宗発展の基礎を築き上げた僧です。 光明寺 ところで、 光明寺 の創建については、諸説あるようです。 一般的に伝えられているのは・・・ 「鎌倉に入った 良忠 は、住吉谷の悟真寺(現在小坪にある正覚寺)に住して布教していたが、四代執権 北条経時 の帰依を受け、佐助ヶ谷に創建された 「蓮華寺」 の開山に迎えられ、その後、 蓮華寺 は材木座に移され 「光明寺」 と改められた(1243年(寛元元年))」 ということかと思われます。 このような流れだったすれば 光明寺 の開基は 北条経時 となるのでしょうが・・・ 蓮華寺 跡碑 『吾妻鏡』によれば、 北条経時 は、1245年(寛元3年)5月に発病し、翌年3月には病状が悪化したため、弟 時頼 に執権職を譲った後、閏4月1日に亡くなっています。 翌日には、佐々目(笹目)の山麓に葬られたと伝えられています。 そして、『鎌倉大日記』によれば、1251年(建長3年)、 経時 のために佐助ヶ谷に 蓮華寺 が創建され、良忠が住持したと伝えられています。 この流れからすると、 蓮華寺 の開基は 北条時頼 だったということなのかもしれません。 さらに、『良暁述聞副文』の正中2年3月15日には、「佐介ヶ谷のもと悟真寺、いま蓮華寺と号す」とあるようです(良暁は良忠の後継者)。 この悟真寺という寺は、良忠の外護者大仏朝直が建てたものと考えられ、良忠が住持していたといいます。 また、正中2年というのは、西暦でいえば1325年。 佐助ヶ谷の 蓮華寺 がこの時期まで存在していたとすると・・・ 光明寺 が 蓮華寺 を前身としているならば、材木座に移転された時期や「光明寺」と改名された時期は不明ということになります。 良忠 墓 1287年(弘安10年)7月6日に 良忠 は亡くなり、「住吉の瓶子(こつぼ)山麓の荼毘所に埋葬された」といわれています。 その荼毘所というのは、鎌倉に入った 良忠 が布教を行っていた場所で、そこに建てられた堂が悟真寺と呼ばれ、のちに 正覚寺 と改名されたと伝えられています。 伝良忠

鎌倉三大カイドウ開花!光則寺2013/03/20

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鎌倉三大カイドウ の一つ 光則寺 本堂前の カイドウ が開花しました。 樹齢200年ともいわれる古木です。 今年は、門前の 桜 と カイドウ が同時に楽しめるかもしれません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉:桜の名所 鎌倉手帳