投稿

源頼朝も信奉した稲荷神

イメージ
稲荷神は、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神。 京都・ 伏見稲荷大社 の額 全国の稲荷社の総本宮 伏見稲荷大社 は、711年(和銅4年)2月7日の初午の日に、渡来系豪族の秦伊呂巨(はたいろぐ)が、稲荷山の三つの峰に神を祀ったことにはじまるといいます。 『山城国風土記』によれば・・・ 秦伊呂巨は、稲をついて餅をこね矢を射る的を作りました。 ところが矢を射ると餅は白い鳥に姿を変えて飛び去っていったといいます。 そして、白い鳥が舞い降りた所には、稲がたわわに実ったといいます。 伊呂巨はこれを神がなしたことだと思い社を建てました。 これがお稲荷さんのはじまりとされ、711年(和銅4年)のことだったと伝えられています。 鎌倉・ 佐助稲荷神社 稲荷心経奉賛文には・・・ そもそも稲荷心経と申す御経は 文字の数わづかに九十四なれど 諸経の華を選み出されたるお経にして その昔源頼朝日夜これを持誦したる功徳により 程なく世を取りたまへり かくも霊験ある御経なれば われら一途に念誦したてまつらば 百八煩悩を解脱して 諸願成就疑ひなきものなり とあり、 源頼朝 も稲荷信奉者であったようです。 確かに 源頼朝 は、配流先の 蛭ヶ小島 で稲荷神から受けた夢のお告げによって、鎌倉に 佐助稲荷神社 を創建させています。 ※奉賛文は、稲荷心経本文の前に唱えるとよいとされ、稲荷心経の効力をうたったもの。 鎌倉・ 丸山稲荷社の初午祭 2月の初午の日、伏見稲荷大社では、神が宿る稲荷山への福参りが行われるようです。 鎌倉の稲荷社でも 「初午祭」 が行われます。 (佐助稲荷神社は正午頃から、丸山稲荷社は午後2時頃から) 伏見稲荷大社 が鎮座してから1300年。 今日でも稲荷神は「衣食住ノ太祖ニシテ萬民豊楽ノ神霊ナリ」と崇められ、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神として信仰されています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

餅売りの嫗と源頼朝・・・伊豆の国市成願寺の伝説

イメージ
(文は、伊豆の国市原木にある成願寺で頂いた資料です。) 韮山・原木に 成願寺 という寺がある。 この寺は 頼朝 が名もない餅売りの嫗(おうな)の望みをかなえて、創建されたものである。 成願寺 その昔、 源頼朝 は 蛭ヶ小島 に流されている若いとらわれの身であった。 ひそかにいだく望みもあって、頼朝は毎朝のように、道のりが二里もある 三島明神 に参詣するのだった。 この道すじの原木にいっけんの茶店があって、嫗がやわらかい草餅を売っていた。 頼朝はときどき茶店によってひと休みし、草餅を食べるのだった。 嫗はどういうわけか、孫のような頼朝のきしょうが気にいり、よくかわいがった。 頼朝もまた、嫗の手づくりの草餅をたべながら語り合っていると、肉親のような安らぎをかんじ、気やすくなるのだった。 いつしか、よい草餅ができたときなど、わざわざ 蛭ヶ小島 の館にまででむいて、頼朝の心をなぐさめるようになった。 「ご武家さまは、いまにきっと立派なおかたになりますじゃ、わたしにはそのようにみえまする」 頼朝は嫗のことばを、にこにこ笑いながらも、いちいちかみしめて聞いているのだった。 そして、この嫗の目をうらぎってはならないと思うのだった。 「いやいや、なれぬかもしれん、なるかもしれん、夢のようなはなしじゃが、もしなれたらたんとお礼をせねばならんな」 と、じょうだんをいいながら、おいしそうに草餅をほうばるのだった。 時は水の流れのように移っていった。やがて、世は源氏のものとなり、 頼朝 は苦難の末に鎌倉に幕府を開くことができた。 嫗は、頼朝の出世をわがことのようによろこんだ。 (わしの目にくるいはなかった)とおもいながら、若い日の頼朝の気しょうの張った姿をおもいおこしながら、 「よかった、よかった、さぞりっぱな大将軍さまにおなりなさったろう」 とひとりつぶやくのだった。 嫗はもう死んでもよいと思ったが、せめてこの世の見納めに、一度だけでも頼朝に会っておきたかった。 でも、その気持ちをとどけられないのがかなしかった。 さとくさかしいおかただから、忘れるようなことはないと思いながらも、あてのない日々をむなしく待つのがつらく、ようやくほそぼそと餅売りを続けていた。 そんなある日、数人のいかめしい鎌倉武士が

鎌倉:荏柄天神社の寒紅梅と古代青軸2013/02/03

イメージ
鎌倉の梅の名所: 荏柄天神社 の 寒紅梅 は、1月25日の 筆供養 のときより咲いています。 2月8日の 針供養 の頃には、見頃を迎えるのではないでしょうか・・・(私の期待です。昨年の見頃は遅かったですからねぇ~。無理なことでしょうか?)。 ただ、 古代青軸 は、開花にはもう少しかかりそうでしょうか・・・。 寒紅梅に同じく、昨年の見頃は大幅に遅れました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鎌倉:梅の名所 鎌倉手帳

伊豆の源頼朝の伝説を巡る2013/02/03

イメージ
荒木神社 (伊豆の国市) 源頼朝 が参詣の度に社木に鞍をかけたため鞍掛明神と呼ばれたという。 成願寺 (伊豆の国市) 源頼朝 に草餅を馳走してくれた嫗ために創建された。 右内神社 (三島市) 源頼朝 の手洗水の伝説が残る。 間眠神社 (三島市) 源頼朝 がまどろんだという松があったという。 伊豆は、 源頼朝 が流された地。 源頼朝 は約20年間を伊豆で過ごした。 蛭ヶ小島 の源頼朝・政子像(伊豆の国市) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 伊豆韮山の旅 鎌倉手帳

源頼朝の配流地(伊豆韮山)からの富士2013/02/03

イメージ
武家の古都・鎌倉 とともに世界遺産を目指す富士山。 鎌倉からの富士山も素敵ですが、 源頼朝 が流された 伊豆韮山 からの富士山は素晴らしい。 蛭ヶ小島 富士を眺める源頼朝と北条政子像 韮山城址 からの富士 (韮山城は、北条早雲の居城) 狩野川と富士 かつて狩野川は、 蛭ヶ小島 付近を流れていたともいわれている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 伊豆韮山の旅 鎌倉手帳

鎌倉宮の豆撒き20130/02/03

イメージ
節目の邪気払い邪気払い。 鎌倉宮 では、「鬼やらい」神事の後、豆撒きが行われていました。 鎌倉駅地下道ギャラリーの鬼の面。

相模国分寺

イメージ
相模国分寺の七重塔 の復原板。 (海老名駅前:海老名中央公園) 国分寺と国分尼寺は、聖武天皇の勅命によって各国に一つずつ置かれた。総本山は奈良の 東大寺 と法華寺。 相模国では海老名に置かれていた。 史跡: 相模国分寺跡 海老名市温故館の相模国分寺の復原模型 『吾妻鏡』によれば、 源頼朝 は国分寺の修復を行っています。