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鶴岡八幡宮の大銀杏に緑の葉2012/04/25

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再生が期待されている 鶴岡八幡宮 の 大銀杏 は、平成24年2月26日、根の部分から新たな「ひこばえ」2本確認されていましたが・・・ 緑の葉が出てきました。 (参考: 大銀杏の根に「ひこばえ」・・・鶴岡八幡宮2012 ) 幹の方は今のところ変化ないようです。 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

2012鎌倉GW特集:円覚寺舎利殿特別拝観

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ゴールデンウィーク中の5月3日から6日まで、 円覚寺 の国宝 「舎利殿」 の特別拝観が行われます。 拝観時間:8:30~16:00 舎利殿 「舎利殿」 のある場所は、 円覚寺 塔頭 正続院 内。 正続院 は、 円覚寺 開山の無学祖元の塔所。 その中の中心的な建物が 「舎利殿」 です。 鎌倉の建造物の中では唯一「国宝」に指定されています。 「舎利殿」 は、もとは西御門にあった尼寺 「太平寺」 の仏殿でした。 室町時代中期(15世紀)頃の建築物と推定され、日本最古の唐様(禅宗様)建築物です。 太平寺 は、 鎌倉尼五山 第一位として興隆をきわめますが、1556年(弘治2年)、安房の里見義弘が鎌倉に攻め入った際に、住職青岳尼が安房に渡ったため、北条氏康によって廃寺とされています。 正続院の門 正続院 正法眼堂 より大きな地図で 正続院 を表示 「舎利殿」 という名称は、「仏舎利」(釈迦の骨(右奥歯))が納められているため、そう付けられました。 この仏舎利は、1216年(建保4年)、三代将軍 源実朝 が宋の能仁寺より請来したもので、 源頼朝 が創建した 勝長寿院 に安置された後、 源実朝 が創建した 大慈寺 に納められいました。 のちに、九代執権 北条貞時 によって 円覚寺 に移され、現在は、 正続院 の 「舎利殿」 に納められていると伝えられています。 ※1285年(弘安8年)、 北条貞時 は仏舎利を納めるため、 円覚寺 に祥勝院という堂宇を建立しています。その跡に建てられたのが 正続院 です。 無学祖元 (仏光国師坐像) 「舎利殿」 の背後には、「木造仏光国師坐像」が安置されている開山堂があります。 無学祖元は、宋の禅僧で、八代執権 北条時宗 の招きにより来日し、 建長寺 に住した後、 円覚寺  の開山となります。 「仏光国師坐像」は頂相彫刻の秀作で国の重要文化財です。 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

鎌倉ゴールデンウィーク特集2012

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今年(2012年)のゴールデンウィークは、9日連休という方もいるかと思います。 温泉や海外旅行もいいですが、古都鎌倉で歴史を学びながら楽しむこともお忘れなく・・・。 ★ 最後にGoogleマップを載せています。 ~鎌倉の端午の節句~ (5月5日に行われる祭事) 菖蒲祭 ~鶴岡八幡宮~ 「菖蒲」が置かれた舞殿で、延命長寿の祝詞が奏され、「舞楽」が奉納されます。 草鹿 (くさじし) ~鎌倉宮~ 鹿の形の的を射て、その点数を競い合います。勝ち組には「菖蒲」が授与されます。 清正公祭 ~妙法寺~ 「菖蒲」で作られた「清正公勝守」が授与されます。 ※ いずれの祭にも「菖蒲」が関係していますが、これは、武道・武勇を重んじる「尚武」に通じています。 補陀洛寺 の「こいのぼり」 ※ 鯉は、「滝を逆上りするたくましい魚で、逆境にもめげずどんどん上に昇る出世魚」と呼ばれています。 ~花巡り~ ツツジ 安養院   仏行寺 鶴岡八幡宮 長谷寺   英勝寺   久成寺 鎌倉大仏   安国論寺 など。 フジ

草鹿(くさじし)・・・鎌倉宮

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菖蒲の節句(5月5日)に、 鎌倉宮 で行われる 「草鹿神事」 です。 「草鹿」 (くさじし)の起源は、1193年(建久4年)に 源頼朝 が催した「富士裾野の巻狩り」に遡ります。 頼朝 は、度々鹿を射損じる家人に対して、草を鹿の形に束ねさせ、それを射る稽古をさせたといいます。 これが 「草鹿」 の始まりだといわれています。 鹿の的 「草鹿」 は、射手が5人ずつ2組に分かれ、古式にのっとって「鹿の形」を射て、その点数を競い合います。 矢が放たれると、的奉行が「当たり外れ」と「所作」を判定します。 やはり武道ですので「所作」の判定も大切なことです。 射手と的奉行とが、「どこに矢が当たったか」などを問答するのも 「草鹿」 の特徴の一つです。 競技では、まず各組4人が出て点数を競い合います。 そして、各組の大将が登場します。 勝ち組の大将には、「菖蒲」が授与されます。 ~参考・・・富士の巻狩り~ 1193年(建久4年)、 源頼朝 は富士裾野で大規模な「巻狩り」を催します。 頼朝 を中心とする東国武士の力を公家に認めさせるための「大軍事演習」だったと考えられています。 「巻狩り」には、 頼朝 の長男 頼家 も同行し鹿を射止めました。 さっそく鎌倉の 北条政子 にそのことが知らされますが、 政子 は・・・「武家の子が鹿を射たくらいで・・・」として使者を追い返したといわれています。 さて・・・ この「巻狩り」で起きた事件といえば・・・「曾我兄弟の仇討ち」です。 曾我十郎祐成と曾我五郎時致が親(父:河津祐通(祐泰))の仇として工藤祐経を討った事件です(参考: 曾我兄弟の仇討ち・・・ )。 この事件がきっかけで、 頼朝 の弟 範頼 が伊豆 修禅寺 に流され、のちに 梶原景時 に攻められ自害しています(参考: 源頼朝の弟範頼 )。 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

鶴岡八幡宮の「実朝桜」と浄妙寺の「鎌足桜」2012/04/18

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実朝桜 平成23年、 源実朝 の 首塚 のある秦野市から移植されました。 鶴岡八幡宮 の 流鏑馬馬場 の 「静桜」 の横に植えられています。 ようやく開花です。 鎌足桜 藤原鎌足の杖が根付いたという伝説の桜。 平成20年に木更津市から 浄妙寺 に移植されました。 こちらも、ようやく開花です。 鎌倉:伝説の桜 https://www.yoritomo-japan.com/hana-kesiki/sakura/sakura-densetu.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

苔と桜の花びらと竹林と・・・鎌倉:報国寺2012/04/18

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「竹の寺」として知られる 報国寺 。 「竹林」 (竹の庭)はもちろん素晴らしい景色ですが、「苔」が美しい寺でもあります。 それに加えて、散った「桜の花びら」が素晴らしい景色をさらに引き立てています。 「タケノコ」も顔を出していました。 これから初夏にかけて、ますます「緑」の美しさを増す 報国寺 です。 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html