別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2012年4月19日木曜日

草鹿(くさじし)・・・鎌倉宮

菖蒲の節句(5月5日)に、鎌倉宮で行われる「草鹿神事」です。

「草鹿」(くさじし)の起源は、1193年(建久4年)に源頼朝が催した「富士裾野の巻狩り」に遡ります。




頼朝は、度々鹿を射損じる家人に対して、草を鹿の形に束ねさせ、それを射る稽古をさせたといいます。

これが「草鹿」の始まりだといわれています。


鹿の的



「草鹿」は、射手が5人ずつ2組に分かれ、古式にのっとって「鹿の形」を射て、その点数を競い合います。

矢が放たれると、的奉行が「当たり外れ」と「所作」を判定します。

やはり武道ですので「所作」の判定も大切なことです。

射手と的奉行とが、「どこに矢が当たったか」などを問答するのも「草鹿」の特徴の一つです。


競技では、まず各組4人が出て点数を競い合います。


そして、各組の大将が登場します。


勝ち組の大将には、「菖蒲」が授与されます。



~参考・・・富士の巻狩り~

1193年(建久4年)、源頼朝は富士裾野で大規模な「巻狩り」を催します。

頼朝を中心とする東国武士の力を公家に認めさせるための「大軍事演習」だったと考えられています。

「巻狩り」には、頼朝の長男頼家も同行し鹿を射止めました。

さっそく鎌倉の北条政子にそのことが知らされますが、政子は・・・「武家の子が鹿を射たくらいで・・・」として使者を追い返したといわれています。


さて・・・

この「巻狩り」で起きた事件といえば・・・「曾我兄弟の仇討ち」です。

曾我十郎祐成と曾我五郎時致が親(父:河津祐通(祐泰))の仇として工藤祐経を討った事件です(参考:曾我兄弟の仇討ち・・・)。

この事件がきっかけで、頼朝の弟範頼が伊豆修禅寺に流され、のちに梶原景時に攻められ自害しています(参考:源頼朝の弟範頼)。



鎌倉手帳
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