目の前を 江ノ電 が走る 御霊神社 このところ、 ドラマ「最後から二番目の恋」で知られる景色となりました。 御霊神社 御霊神社 の祭神は、平安時代の開発領主:鎌倉権五郎景政です。 弓立の松 景政が領地を見廻る際に弓を立てかけたと伝わる松。 景政は鎌倉・藤沢・茅ヶ崎にまたがる大庭御厨を開拓し、 伊勢大神宮に寄進しました。 景政には、「後三年の役」の武勇が伝えられています。 1083年(永保3年)、景政は、 源義家 に従って出陣します。その折、敵に右目を射抜かれてしまいますが、勇敢に戦ったといいます。 そして、味方の三浦為継に矢を抜いてもらうこととなります。 しかし、 為継が景政の顔に足をかけたため、 「弓矢で命を落とすのは本望だが、足で顔を踏むとは何事か!」 と叱責したといいます。 景政の武勇伝により、 御霊神社 は「目の神様」として親しまれています。 面掛行列 9月の 例祭 で行われる 「面掛行列」 は、 神奈川県の民俗文化財に指定されています。 境内社:石上神社 御霊神社 の本殿の右手に並ぶ宮造りの建物の中に石上神社があります。 その昔、沖に大きな岩石がありました。 満潮となると海中に姿を没してしまうので、多くの船がこの岩に衝突し難破しました。 ある日、沖の岩石に光が放たれます。 そして、難破する船も増えました。 漁民は「海神の怒りだ」として恐れたといいます。 海神の怒りを解こうと考えた漁民は、岩石を割って引き上げることにしました。 漁民総出で引き上げられた岩は、氏神である 御霊神社 の境内に安置されたと伝えられています。 引き上げられたという岩石は、 石上神社の背後に置かれています。 石上神社例祭 (御供流し) 7月の石上神社の 例祭 では、 神輿が海上渡御をする 「御供流し」 が行われます。 明治の頃、 由比ヶ浜 が海水浴場として発展してからは、 石上神社の「御供流しの日」が「海開きの日」とされていたようです・・・。 タブの木 境内にあるタブの木は樹齢350年ともいわれる古木で、 鎌倉市の天然記念物に指定されています。 鎌倉手帳