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腰越と義経ゆかりの満福寺

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腰越は、西からの鎌倉への入口。 西国から来た旅人は、「腰越の駅」で旅装を整えて鎌倉に向かったといいます。 そのため、かつては多くの旅籠があったようです。 江の島 を間近にのぞむ 腰越海岸 満福寺 聖武天皇の命により全国を旅した行基によって開かれた寺。 薬師三尊像を祀った草庵がそのはじまりと伝えられています。 満福寺 の門前を走る 江ノ電 山門への石段には「源義経」の幟が立てられています。 満福寺 は、兄 頼朝 の勘気を被り鎌倉に入ることができなかった 義経 がしばらく逗留していた寺として知られています。 ★ 源義経の腰越状~頼朝と義経の対立:満福寺~ 春には 「義経まつり」 で賑わいます。

鎌倉:坂ノ下の御霊神社

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目の前を 江ノ電 が走る 御霊神社 このところ、 ドラマ「最後から二番目の恋」で知られる景色となりました。 御霊神社 御霊神社 の祭神は、平安時代の開発領主:鎌倉権五郎景政です。 弓立の松 景政が領地を見廻る際に弓を立てかけたと伝わる松。 景政は鎌倉・藤沢・茅ヶ崎にまたがる大庭御厨を開拓し、 伊勢大神宮に寄進しました。 景政には、「後三年の役」の武勇が伝えられています。 1083年(永保3年)、景政は、 源義家 に従って出陣します。その折、敵に右目を射抜かれてしまいますが、勇敢に戦ったといいます。 そして、味方の三浦為継に矢を抜いてもらうこととなります。 しかし、 為継が景政の顔に足をかけたため、 「弓矢で命を落とすのは本望だが、足で顔を踏むとは何事か!」 と叱責したといいます。 景政の武勇伝により、 御霊神社 は「目の神様」として親しまれています。 面掛行列 9月の 例祭 で行われる 「面掛行列」 は、 神奈川県の民俗文化財に指定されています。 境内社:石上神社 御霊神社 の本殿の右手に並ぶ宮造りの建物の中に石上神社があります。 その昔、沖に大きな岩石がありました。 満潮となると海中に姿を没してしまうので、多くの船がこの岩に衝突し難破しました。 ある日、沖の岩石に光が放たれます。 そして、難破する船も増えました。 漁民は「海神の怒りだ」として恐れたといいます。 海神の怒りを解こうと考えた漁民は、岩石を割って引き上げることにしました。 漁民総出で引き上げられた岩は、氏神である 御霊神社 の境内に安置されたと伝えられています。 引き上げられたという岩石は、 石上神社の背後に置かれています。 石上神社例祭 (御供流し) 7月の石上神社の 例祭 では、 神輿が海上渡御をする 「御供流し」 が行われます。 明治の頃、 由比ヶ浜 が海水浴場として発展してからは、 石上神社の「御供流しの日」が「海開きの日」とされていたようです・・・。 タブの木 境内にあるタブの木は樹齢350年ともいわれる古木で、 鎌倉市の天然記念物に指定されています。 鎌倉手帳

世界文化遺産候補・・・建長寺

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建長寺 建長寺 は、1253年(建長5年)、五代執権 北条時頼 が宋の 蘭渓道隆 を招いて開いた「日本初の禅専門道場」です。 道隆 は宋の厳格な禅を我が国に持ち込み、その指導書である墨跡「法語規則」は国宝に指定されています。 ★ 建長寺の国宝~法語規則と蘭渓道隆像~ ◎ 庭園 仏殿 前のビャクシンの古木(前栽列樹)と、 蘭渓道隆 の作庭といわれる 方丈 背後の庭園は、国の名勝に指定されています。 ◎ 山門 国重文。楼上には、釈迦如来・五百羅漢・十六羅漢が安置されています。 現在の山門は、1775年(安永4年)、万拙碩誼(ばんせつせきぎ)によって再建されたもので、古狸が再建の勧進に活躍したことから「狸の三門」と呼ばれています。 ◎ 仏殿 国重文。 本尊は地蔵菩薩坐像。 現在の仏殿は、1647年(正保4年)、芝増上寺の徳川二代将軍秀忠夫人(崇源院)の御霊屋が移築されたものです。 ◎ 法堂 国重文。 現在の法堂は、1814年(文化11年)に再建(上棟)されたもので、関東一の大きさを誇ります。 鎌倉で唯一の法堂です。 ◎ 西来庵 開山 蘭渓道隆 (大覚禅師)の塔所。 昭堂・唐門・大覚禅師塔は国重文。 唐門は芝増上寺の徳川二代将軍秀忠夫人(崇源院)の御霊屋から移築されたものです。 ◎ 唐門 国重文。 方丈前の唐門(勅使門)は、芝増上寺の徳川二代将軍秀忠夫人(崇源院)の御霊屋から移築されたものです。 平成23年に保存修理が完了し、華美な姿が復元されました。 ◎ 梵鐘 国宝。 鋳物師物部重光による鋳造。 大旦那は 北条時頼 、撰文は 蘭渓道隆 。 ◎ 朱垂木やぐら 塔頭 回春院 の奥、 十王岩 の下方に分布する「やぐら群」の中の中心的な「やぐら」です。 世界文化遺産候補21の史跡 ★ 禅宗文化と世界文化遺産 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

世界文化遺産候補・・・壽福寺

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壽福寺 壽福寺 は、1200年(正治2年)、 北条政子 によって創建されました。平安時代には、 源頼朝 の父 義朝 の屋敷があった場所です。 開山の栄西は、我が国 臨済宗 の開祖。 栄西の『喫茶養生記』は、茶の効用が書かれた書物で、我が国最古の茶書です(国重文)。 裏山の 「やぐら」 には、 北条政子 と 源実朝 の五輪塔があります。 ◎仏殿 本尊の釈迦像は、関東ではめずらしい乾漆仏。別名「籠釈迦」と呼ばれています(国重文)。 釈迦像の横の仁王像は、 鶴岡八幡宮 の仁王門に安置されていもので、明治の神仏分離の影響で 壽福寺 に移されました。 ◎ビャクシン 本堂前のビャクシンの古木は、鎌倉市の天然記念物です。 世界文化遺産候補21の史跡 ★ 禅宗文化と世界文化遺産 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

世界文化遺産候補・・・荏柄天神社

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荏柄天神社 荏柄天神社 は、学問の神様菅原道真を祀る神社です。 1104年(長治元年)の創建と伝えられ、鎌倉幕府の鬼門の守護神でした。京都の 「北野天満宮」 、福岡の「太宰府天満宮」とともに日本三天神の一つに数えられています。 ◎本殿 本殿は、 鶴岡八幡宮 造営の余った木材で修理を繰り返し、鎌倉最古の木造建築として残されています(国重文)。 ◎ 大銀杏 樹齢900年といわれる古木(鎌倉市天然記念物)。 1104年(長治元年)8月25日、この場所に「 天神画像」が降りてきたといいます。 画像の降り立った地を踏むことのないように銀杏の木が植えられたということです。 世界文化遺産候補21の史跡 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

世界文化遺産候補・・・鶴岡八幡宮

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鶴岡八幡宮 鶴岡八幡宮 は、鎌倉に武家の都を創った 源頼朝 が、1180年(治承4年)に創建した神社です。 鎌倉に入った 頼朝 は、先祖 源頼義 が創建した由比郷の 鶴岡若宮 (由比若宮)を現在地に遷座し、鎌倉の街造りの中心に据え、重要な政治・宗教行事をここで行いました。 ◎ 上宮 (じょうぐう) 上宮 は、1191年(建久2年)の大火で焼失してしまった 鶴岡八幡宮 を再建する際に、大臣山の中腹を削って建てられました。 現在の建物は、徳川十一代将軍家斉の造営(国重文)。 祭神:応神天皇 比売神 神功皇后 ◎ 若宮 (わかみや) 1180年(治承4年)に由比郷の 鶴岡若宮  を遷座した場所が、現在 若宮 が建っている場所といわれています。 現在の建物は、徳川二代将軍秀忠の造営(国重文)。 祭神:仁徳天皇 履仲天皇 仲媛命 磐之媛命 ◎ 舞殿 (下拝殿) 1193年(建久4年)に新造された唐破風の入母屋造りの建物。 各種儀式・行事が行われている建物です。 ◎ 丸山稲荷社 鶴岡八幡宮 より古くからある地主神。 社殿は室町中期のものと伝えられ、境内で最も古い建物です。 祭神:倉稲魂神 ◎ 白旗神社 源頼朝 と 源実朝 を祀る神社 ◎ 今宮 (新宮) 後鳥羽、土御門、順徳の三天皇を祀る神社 ◎ 旗上弁財天社 鶴岡八幡宮 の参道 「若宮大路」 を造営する際、 琵琶橋 付近にあったものを 源氏池 の島に遷したと伝えられていま

良縁・縁結びの旗上弁財天社:鎌倉

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鶴岡八幡宮 の 源氏池 の島にある 旗上弁財天社 は、 琵琶橋 の辺りにあったものを 源頼朝 が遷したといわれています。 ( 北条政子 の創建という説もあるようですが・・・)。 頼朝 は、1180年(治承4年)に源氏再興の旗挙げをして、鎌倉に武家の都を創り上げました。 頼朝 が信仰した弁財天ということで、商運・家運の神として信仰され、近頃では良縁・縁結びの神として信仰されています。 ※ 鎌倉・江の島七福神 の一つです。 旗上弁財天社 旗上弁財天社 は、明治の神仏分離によって破壊されますが、昭和55年に文政年間の古図をもとに復元されています。 神仏分離では、安置されていた弁財天像も行方がわからなくなったようですが、関東大震災の修理のときに倉庫の中で見つかった弁財天像が存在します。 現在、 鎌倉国宝館 に寄託されている「裸弁財天」です。 この弁財天像がもともと 旗上弁財天社 に安置されていた像ではないかともいわれているようです。 木造弁才天坐像 1226年(文永3年)、舞楽師中原光氏が舞楽院に奉納した仏像。 裸形彫刻で「裸弁財天」として知られています。 国の重要文化財に指定されています。 姫石 社の後方に置かれた石。 「政子石」とも呼ばれる石で、夫婦円満と子宝の祈願石だということです。 鶴岡八幡宮 https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman.htm