投稿

鎌倉・・・夏の花

イメージ
鎌倉の夏は、日射しは強いですが、たくさんの木々と、海からの風、山からの風でしのぎやすいところです。 今年は7月2日が「半夏生」。 光則寺 や 鎌倉中央公園 では 「ハンゲショウ」 が咲き始めます。 和み地蔵 と ノウゼンカズラ 鎌倉のお寺と ノウゼンカズラ はよく似合う。7月上旬から咲き始めます。 ( 九品寺   妙本寺 ) 仏教とともに伝来した ハス 。蓮華とも呼ばれます。 7月中旬から下旬頃が見頃かと・・・ 光明寺 ・ 鶴岡八幡宮 材木座海岸  「秋の七草」として知られている キキョウ 。 7月が花の盛りです。・・・ 東慶寺   長谷寺 夏の 鎌倉大仏 夏の盛りに縮緬状の花を咲かせる サルスベリ 。 暑い季節に似合う花です。・・・ 極楽寺   本覚寺 和賀江嶋  夏の終わりに咲く フヨウ 。・・・ 妙隆寺   瑞泉寺 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

鶴岡八幡宮の放生池・・・源平池

イメージ
鶴岡八幡宮 の 源平池 は、浄土信仰に基づく「放生池」として造営されたと考えられています。 太鼓橋 三の鳥居の先にある 太鼓橋 は、 源平池 の造営ととも架けられたといわれています。 太鼓橋 の東側(右)を源氏池、西側(左)を平家池と呼んでいます。 二つの池をあわせて「源平池」と呼びます。 https://www.yoritomo-japan.com/page041taikobasi.htm 『吾妻鏡』には、弦巻田と呼ばれた三町余りの耕作をやめて池にしたことが記されています(1182年(養和2年)4月24日条)。 弦巻田とは、苗を渦巻きのように植える斎田のことなのだそうです。 大きくなってきた源氏池のハス(2011/06/17)。 7月に入れば紅白の花が咲き始めます。 ~古絵図でみる源平池~ 鶴岡八幡宮境内絵図 徳川二代将軍秀忠による寛永の造営後の様子が描かれた絵図です。 (1732年(享保17年)) 鶴岡八幡宮図 『新編鎌倉志』に載せられた絵図です。 (1685年(貞享2年)) 現在は、源氏池の畔には幼稚園や齋館が建てられ、平家池の畔には神奈川県立近代美術館が建てられていますが、上の2つの絵図でもわかるとおり、かつては 流鏑馬馬場 の南が全て池だったようです。 ~北条政子の伝説~ 源平池 は、 北条政子 が源家が栄えることを祈って造らせたともいわれています。 政子 は、源平の旗の色にちなんで、東の池(源氏池)に白蓮を、西の池(平家池)に紅蓮を植えさせたそうです。 それぞれの池には四つずつの島が造られたそうですが、 政子 は東の池(源氏池)の島を一つ壊させたといいます。 源氏の発展を願う「産」=「三」と、平家の滅亡を願う「死」=「四」という意味があるのだそうです。 旗上弁財天社の政子石(姫石) 旗上弁財天社 は源氏池の島に建てられた社です。 北条政子 の創建ともいわれています。 社の裏には「政子石」と呼ばれる陰陽石が置かれています。 夫婦円満と子宝の祈願石なのだそうです。 https://www.yoritomo-japan.com/page041hataagebenzaiten.htm

柳原~鶴岡八幡宮~

イメージ
鶴岡八幡宮 の若宮から 白旗神社 へ向かう池辺りは、「柳原」と呼ばれていたそうです。 「年経たる鶴ヶ岡辺の柳原青みにけりな春のしるしに」 三代執権 北条泰時 の歌ともいわれています。 かつての柳原は、その名のとおり柳の名所で、たくさんの柳の木が植えられていたといいます。 柳原神池 6月の「蛍放生祭」では、この池に蛍が放たれます。 (※昔はこの池はなかったそうです。) 柳原神池に架けられた橋 1186年(文治2年)、 源頼朝 が奥州へ向かう途中の西行に出会ったのはこの辺りだったともいわれています。 柳原には、由比若宮( 元八幡 )の遙拝所があります。その横には、水で石面を洗うと「鶴亀」の紋様が現れるという「鶴亀石」が置かれています。 鶴岡八幡宮 https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

陸奥イソの鎌倉案内書と瓶ノ井~明月院~

イメージ
明月院 の開山密室守厳を祀る宗猷堂の横にある井戸は、 鎌倉十井 の一つ 「瓶ノ井」 (つるべのい)です。 内部に水瓶のようなふくらみがあることから、 「瓶ノ井」 と呼べれているそうです。 「甕ノ井」(かめのい)とも呼ばれています。 長峯五幸氏の『鎌倉趣味の史跡めぐり』によると・・・ 陸奥イソが著した外国人のための「鎌倉案内書」にも 「瓶ノ井」 が紹介されているようですが、「亀ノ井」となってしまっているそうです。 「水瓶」を「水亀」と勘違いしてしまったのでしょうか・・・。 日本語は難しいです。 イソは、イギリスの貴族出身の外国人です。 夫は外交官を務め、鎌倉同人会の結成や鎌倉国宝館の開設に尽力した陸奥広吉です(広吉の父は陸奥宗光)。 鎌倉を愛したイソは、『吾妻鏡』を読んで鎌倉の歴史を勉強したのだといいます。 そして、外国人向けの鎌倉案内書である『KAMAKURA FACT & LEGEND』が大正7年に発刊しました。