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川崎大師を参詣

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高野山薬王寺、成田山新勝寺とともに関東三本山として知らる「川崎大師」は、正式名称を金剛山金乗院平間寺といいます。 京急「川崎大師駅」 現在の京浜急行電鉄(京急)は、 川崎大師への参詣客を運ぶために開業した「大師電気鉄道」が基になっています。 川崎大師駅の南口 まだ9時ちょっとすぎですので、ほとんどの店が開店前です。 仲見世 トントコという飴切りの音で知られている通りです。 そういえば、鎌倉の小町通りにもあったような・・・。 こちらも、開いている店が少ないです。 大山門 仲見世を過ぎると大山門。 四方に四天王像が安置されています。 (京都の東寺の四天王像を模刻したものということです。) 本 堂 無実の罪をきせられ、 流浪のあげく川崎に辿り着いた平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が、 夢のお告げによって弘法大師の尊像を海中から引き上げました。 兼乗は、その尊像を浄め、草庵を建ててその供養を怠りませんでした。 その信仰のおかげで、罪が晴れて生国の尾張国に戻ることができたといいます。 寺を建てたのは、高野山の尊賢という僧で、本尊は「厄除弘法大師」です。 寺の名称は、兼乗の姓「平間」に由来しています。 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kawasaki-daisi.htm 八角五重塔 五重塔の朱とイチョウの黄がきれいです。 遍路姿の弘法大師像 弘法大師は、中国唐から真言密教を伝えた高僧です。 筆の達人としても知られ、嵯峨天皇、橘逸勢とともに三筆に数えられています。 密教寺院では「護摩修行」が行われますが、 「護摩」には「焚く」とか「焼く」という意味があって、 仏の智慧の火で煩悩を焼き尽くす儀式なのだそうです。 不動堂 不動門 経蔵 薬師堂 江戸消防祈念碑 しょうづかの婆さん 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

大船の古道(常楽寺~熊野神社・多聞院~切通~六国見山)

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大船は、粟船と呼ばれていた所で、 建長寺 の根本といわれる臨済宗建長寺派の粟船山 常楽寺 があります。 そして、県道横浜鎌倉線を越えると、玉縄北条氏の家臣甘糟長俊によって勧請されたたいう 熊野神社 と、山ノ内瓜ヶ谷にあった観蓮寺を前身とする 多聞院 があります。 さらに、 円覚寺 の裏山 六国見山 を散策コースに入れる必要がありそうです。 常楽寺 https://www.yoritomo-japan.com/page140jyorakuji.htm 常楽寺 は、三代執権 北条泰時 が建てた粟船御堂を前身としています。 本堂の裏に泰時の墓があります。 裏山には、 源頼朝 の娘大姫の悲恋の相手、木曽義高の墓( 木曽塚 )があります。 https://www.yoritomo-japan.com/page140jyorakuji.htm 開山の 蘭渓道隆 は、 建長寺 を開く前にこの寺に入っていたことから、 常楽寺 は「 建長寺 の根本」と呼ばれています。 イチョウの古木は道隆のお手植えとされ、秘仏の文殊菩薩には道隆の伝説が残されています(参考: 文殊祭 )。 県道を越えてこのT字を左に行くと 熊野神社 ・ 多聞院 です。 庚申塔 多聞院 の門前の庚申塔です。 熊野神社 https://www.yoritomo-japan.com/page140kumano.htm 庚申塔の前の鳥居を抜けて石段を上がると、甘糟長俊が勧請したという熊野神社です。 勧請した木造の神像が現存しているそうです。 多聞院 https://www.yoritomo-japan.com/page140tamonin.htm 山ノ内瓜ヶ谷にあった観蓮寺を前身としています。 甘糟長俊が、この地に移したそうです。そして、隣接する 熊野神社 の別当寺となりました。 甘糟家 近くには甘糟長俊を先祖とする甘糟家が現存しています。 甘糟家は、玉縄北条氏に仕えた一族です。 ~六国見山への道~ 大船側からの 六国見山 への主な道を三つ紹介いたします。 この隧道は 熊野神社 の下を通っています。

今泉・岩瀬の散策

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弘法大師の伝説が残された「今泉」と、源頼朝に登用された岩瀬与一太郎が地名の由来となっている「岩瀬」を散策します。 白山神社 源頼朝が建立した毘沙門堂をはじまりとしている神社です。 毎年正月には 大注連縄祭 が行われ、 大ムカデ(ハガチ)を模した巨大注連縄が奉納されます。 ハガチは毘沙門天の使いとされ、白山神社の守護虫です。 https://www.yoritomo-japan.com/page140hakusan.htm 稱名寺の不動堂 弘法大師の開山と伝わる稱名寺は、 地元では「今泉不動」の名で親しまれています。 https://www.yoritomo-japan.com/page140shomyoji.htm この石段を上がったところが不動堂です。 https://www.yoritomo-japan.com/page140shomyoji.htm 陰陽の滝 不動堂への石段の途中から見える滝です。 弘法大師が穿った穴から湧き出した水が滝になったと伝えられています。 写真は男滝。男滝の前に女滝もあります。 https://www.yoritomo-japan.com/page140shomyoji.htm 不動堂前には三猿とおかめ? 不動堂の背後には、石造の三十六童子と大日如来が安置されています。 https://www.yoritomo-japan.com/page140shomyoji.htm 稱名寺 からは舗装道を歩いても仕方ないので・・・ 山道に入ります。 「鎌倉市今泉さわやかセンター」の前から入る山道です。 斜面の畑を通り過ぎ・・・ 奥へ入ると山道です。 この山道は、横浜市栄区の公田へ通じています。 途中こんな景色もあります。 念仏供養塔 ここもいい景色です。 やはり、農作物がある景色というのは、何となくいいですね。 念仏供養塔を過ぎると下っていきます。 そして公田の住宅街となります。 このT字路は左です。 山から離れないように住宅街を進むと・・・ 石段があります。 この石段を上がって再び山道です。 畑の横を通って・・・ この切通を下りると・・・ 木舟大明神 岩瀬与一太郎を祀った祠だといわれています。 与一