別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2010年11月28日日曜日

今泉・岩瀬の散策

弘法大師の伝説が残された「今泉」と、源頼朝に登用された岩瀬与一太郎が地名の由来となっている「岩瀬」を散策します。


白山神社
源頼朝が建立した毘沙門堂をはじまりとしている神社です。
毎年正月には大注連縄祭が行われ、
大ムカデ(ハガチ)を模した巨大注連縄が奉納されます。
ハガチは毘沙門天の使いとされ、白山神社の守護虫です。

稱名寺の不動堂
弘法大師の開山と伝わる稱名寺は、
地元では「今泉不動」の名で親しまれています。

この石段を上がったところが不動堂です。
https://www.yoritomo-japan.com/page140shomyoji.htm

陰陽の滝
不動堂への石段の途中から見える滝です。
弘法大師が穿った穴から湧き出した水が滝になったと伝えられています。
写真は男滝。男滝の前に女滝もあります。

不動堂前には三猿とおかめ?
不動堂の背後には、石造の三十六童子と大日如来が安置されています。

稱名寺からは舗装道を歩いても仕方ないので・・・
山道に入ります。
「鎌倉市今泉さわやかセンター」の前から入る山道です。

斜面の畑を通り過ぎ・・・

奥へ入ると山道です。
この山道は、横浜市栄区の公田へ通じています。

途中こんな景色もあります。

念仏供養塔

ここもいい景色です。
やはり、農作物がある景色というのは、何となくいいですね。
念仏供養塔を過ぎると下っていきます。

そして公田の住宅街となります。
このT字路は左です。
山から離れないように住宅街を進むと・・・

石段があります。
この石段を上がって再び山道です。

畑の横を通って・・・

この切通を下りると・・・

木舟大明神
岩瀬与一太郎を祀った祠だといわれています。
与一太郎は鎌倉御家人で岩瀬を治めていました。
「岩瀬」という地名は岩瀬与一太郎からきたといわれています。

西念寺
木舟大明神から少し歩くと浄土宗の西念寺です。
木屋夫妻の首抜け木像で知られています。

いわせ下関こども広場
西念寺のすぐそばにある公園です。
写真は、平成14年に「上総掘り」という伝統工法で掘られた井戸です。
この公園は、もとは食用蛙(ウシガエル)の養殖場でした(鎌倉食用蛙養殖場)。
そして、昭和2年頃には、食用蛙の餌としてアメリカザリガニが使われました。
昭和13年の大雨で、多くの食用蛙とアメリカザリガニが砂押川に逃げたそうです。
鎌倉周辺のウシガエルは、これらの個体から増えたものかもしれません。
現在、各地の田んぼなどに生息するアメリカザリガニは、
この養殖場から砂押川に逃げたものが全国に広まったといわれています。
なんと、岩瀬が「アメリカザリガニの発祥地」というわけです・・・。

大長寺
玉縄城の北条綱成が創建した浄土宗の寺です。
徳川家康も訪れたことのある寺。

本堂

宝蔵


境内のあちこちで徳川の葵の紋が見られます。

鎌倉ハム富岡商会
大長寺から県道に出て鎌倉女子大学方面へ行くと、
日本初の駅弁サンドイッチで知られる富岡周蔵が設立した、
株式会社鎌倉ハム富岡商会があります。

イチョウの黄葉を撮ったのではありません。
標識を撮りました。
この交差点の奥(鎌倉女子大中・高等学校の裏)に、
岩瀬の歴史に忘れてはならない大切な社があります。

五社稲荷神社
岩瀬与一太郎の創建と伝えられています。
宗教法人としての名称には「五社」が入らないようですが・・・。
やはり、一番親しまれている名で呼ぶのがよろしいかと・・・。
創建した岩瀬与一太郎は常陸の佐竹氏の家臣でしたが、
源頼朝に認められ御家人となったと伝えられています。





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