そして、県道横浜鎌倉線を越えると、玉縄北条氏の家臣甘糟長俊によって勧請されたたいう熊野神社と、山ノ内瓜ヶ谷にあった観蓮寺を前身とする多聞院があります。
さらに、円覚寺の裏山六国見山を散策コースに入れる必要がありそうです。
常楽寺 |
常楽寺は、三代執権北条泰時が建てた粟船御堂を前身としています。
本堂の裏に泰時の墓があります。
裏山には、源頼朝の娘大姫の悲恋の相手、木曽義高の墓(木曽塚)があります。
開山の蘭渓道隆は、建長寺を開く前にこの寺に入っていたことから、常楽寺は「建長寺の根本」と呼ばれています。
イチョウの古木は道隆のお手植えとされ、秘仏の文殊菩薩には道隆の伝説が残されています(参考:文殊祭)。
県道を越えてこのT字を左に行くと熊野神社・多聞院です。 |
庚申塔 多聞院の門前の庚申塔です。 |
熊野神社 |
庚申塔の前の鳥居を抜けて石段を上がると、甘糟長俊が勧請したという熊野神社です。
勧請した木造の神像が現存しているそうです。
多聞院 |
山ノ内瓜ヶ谷にあった観蓮寺を前身としています。
甘糟長俊が、この地に移したそうです。そして、隣接する熊野神社の別当寺となりました。
甘糟家 |
近くには甘糟長俊を先祖とする甘糟家が現存しています。
甘糟家は、玉縄北条氏に仕えた一族です。
~六国見山への道~
大船側からの六国見山への主な道を三つ紹介いたします。
この隧道は熊野神社の下を通っています。
ここを抜けると白山神社や称名寺がある今泉方面です。
この隧道の上を通る切通があります。
一般的なのかどうか知りませんが、「大船の切通」と呼ばれているようです。
インターネット上の紹介ページでは、この道を「高野の切通」としているものもありますが、実際はどういうことになっているのでしょうか・・・?
これが「大船の切通」
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こちらは、甘糟家の東側の大船高校との境界を上がる道。
「大船の切通」と合流します。
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そして、これが一般的に「高野の切通」として紹介されている古道。
昔は、「山ノ内と六浦とを結ぶ尾根道だった」と鎌倉市のホームページは紹介しています。
~六国見山登山~
高野台の登山口
長窪(南口広場)からの登山口もあります。
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10分から15分くらい山登りをすると山頂です。
六国見山とは・・・、安房・上総・下総・武蔵・相模・伊豆の六つの国を一望できたことから付けられた名です。
山頂の展望台正面の道を下りれば、もう一つの登山口の南口広場です。 |
南口広場の登山口 |
南口広場からは、大船の観音さまを見ながら、JR横須賀線の権兵衛踏切まで下りていけば、北鎌倉駅がすぐそこです。