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稲村路と霊山山(霊山ヶ崎)

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稲村ヶ崎 極楽寺 の忍性によって 極楽寺切通 が切り開かれるまでは、 稲村ヶ崎の磯づたいに鎌倉への出入りが行われていました。 六代将軍となるため下向した 宗尊親王 もここを通って鎌倉に入っています。 https://www.yoritomo-japan.com/page136inamura.htm 稲村ヶ崎の切通 斉藤養之助氏顕彰碑 霊山ヶ崎 下の平地は、計画造成された埋立地。 昭和24年、所有者である斎藤養之助氏から、 埋立地の内の1万坪が鎌倉市に無償供与されました。 現在も運営されている鎌倉海浜公園水泳プールはその土地に建設され、 昭和30年に開催された国体では、 天皇皇后両陛下、皇太子殿下、高松宮妃殿下が御臨席されています。 鎌倉海浜公園水泳プール  鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html

塔ノ辻から由比ヶ浜への古道

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塔ノ辻 長谷小路(由比ヶ浜大通り)の 塔ノ辻 。 斜め左の道は 由比ヶ浜 に通じています。 鎌倉時代は、この道が由比ヶ浜に出る公道でした。 変形五輪塔 塔ノ辻碑 古道的な雰囲気がなんとなく残されています。 1252年(建長4年)、六代将軍として鎌倉に入った 宗尊親王 は、 この道を通って北条時頼の館に向かったといわれています。 また、1271年(文永8年)には、 捕らえられた 日蓮 が、 龍ノ口刑場 に引き連れられる際に通った道です。 鎌倉彫の店 江ノ電の踏切 かいひん荘 鎌倉 大正13年、富士製紙社長の村田一郎の邸宅として建てられました。 鎌倉市景観重要建築物等に指定されています。 由比ヶ浜 国道134号線の由比ヶ浜四丁目の交差点 稲瀬川の石碑 源頼朝が鎌倉に入った当初は、ここが鎌倉の西の境だったそうです。 北条政子が鎌倉に入る際は、ここで日の調整を行いました。 頼朝が平家追討の兵を見送ったのもこの場所でした。 https://www.yoritomo-japan.com/page136inasegawa.htm みなのせばし 『万葉集』に歌われている「美奈の瀬川」は「稲瀬川」のことだといわれています。 「ま愛しみ さ寝に我は行く 鎌倉の 美奈の瀬川に 潮満つなむか」

金沢歴史の道(瀬戸神社から称名寺へと続く道)

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京急「金沢八景駅」から「金沢文庫駅」にかけての旧国道16号線は、「金沢歴史の道」と名付けられ、 称名寺 までの途上には多くの寺社が建てられています。 「金沢八景」 という地名は、 能見堂から見た金沢の眺望で、江戸時代の浮世絵師歌川広重の絵で知られています。 瀬戸神社 源頼朝が伊豆の 三嶋大社 を勧請したのがはじまりと伝えられています。 https://www.yoritomo-japan.com/kanazawa/seto-jinjya.htm 琵琶島弁財天参道 琵琶島弁財天は、 北条政子が近江国竹生島の弁財天を勧請したと伝えられています。 https://www.yoritomo-japan.com/kanazawa/seto-jinjya.htm 平潟湾 六浦は、鎌倉の外港として栄えた港です。 今は、多くの釣り船が停泊しています。 憲法草創之處 洲崎町交差点の建てられている碑です。 明治20年、この辺りにあった料亭東屋で、 伊藤博文、伊東巳代治、金子堅太郎らによって、 明治憲法の草案が起草されました。 洲崎神社 もとは長浜というところにあった神社で、 遷座されたときは道路の真ん中にあったという珍しい神社なのだそうです。 道路の改修によって現在地に鎮座しているそうです。 https://www.yoritomo-japan.com/kanazawa/susaki-jinjya.htm 龍華寺 源頼朝 と 文覚 によって、 六浦山中に建立された浄願寺が龍華寺のはじまりとされています。 上行寺東遺跡 の建物遺構が浄願寺ではないかとも考えられています。 龍華寺は真言宗御室派の寺で、 鎌倉十二所の明石橋付近の墓塔群は龍華寺が管理しています。 https://www.yoritomo-japan.com/kanazawa/ryugeji.htm 安立寺 日蓮 の「船中問答」の霊跡と伝えられている寺です。 https://www.yoritomo-japan.com/kanazawa/anryuji.htm 天然寺 鎌倉 光明寺 の末寺です。 本尊は春日の作と伝えられる阿弥

「お塔の窪やぐら」への道(鎌倉の秘境:番場ヶ谷~貝吹地蔵下)

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北条高時 の首を葬ったという伝説の「やぐら」のうちの一つ 「お塔窪やぐら」(お塔やぐら) は、 六浦道 (金沢街道)の 十二所神社 の少し手前、 滑川 と支流吉沢川に沿って番場ヶ谷に入って行く道の奥にあります。  吉沢川 御坊橋 六浦道 (金沢街道)から入るとすぐに橋があります。 この橋を渡って谷戸の奥に入っていきます。 途中に 瑞泉寺 方面を示す標識がありますが、ここではありません。 しばらく進むと舗装の道は終了しますが・・・ さらにその奥を入っていくと景色が変わってきます。 このような丸太が並んだ橋を渡らなければいけません。 お塔の窪やぐら 3穴からなるやぐら群です。 https://www.yoritomo-japan.com/yagura-otounokubo.htm 中央の五輪塔が 北条高時 の供養塔です。 周りには18基の籾塔と呼ばれる宝篋印塔があります。 https://www.yoritomo-japan.com/yagura-otounokubo.htm お塔の窪やぐら を過ぎると登りです。 倒木などもあってかなり険しい道です。 ここを上りきれば 天園ハイキングコース です。 天園ハイキングコース の 貝吹地蔵 を下った所です。 左がハイキングコースの 貝吹地蔵 方面、 斜め右下が 「お塔の窪やぐら」 への道です。 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html 

朱垂木やぐら(十王岩下~回春院(建長寺塔頭))

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「朱垂木やぐら」 は、 「百八やぐら」 の西方のやぐら群で50穴ほどのやぐらが存在しています。 その内の一つが天井に紅殻塗の平行線が描かれいるやぐらがあります。このやぐらがいわゆる 「朱垂木やぐら」 と呼ばれるものです。 天園ハイキングコース の十王岩を天園方面に下ったところに 回春院 へと下る道があります。 「朱垂木やぐら」 はその道沿いにあります。 回春院 へ下る道 朱垂木やぐら 朱垂木やぐら は、納骨穴がなく仏殿様式となっていることが特色です。 やぐら群の儀式の場所としての仏殿ではなかったかと考えられています。 紅殻塗 天井には紅殻塗りの平行線が描かれています。 朱塗りの垂木をイメージしたものと考えられています。 位牌の浮彫り 側面には二基の位牌が浮彫りされています。 海蔵寺 に安置されている位牌と同型式のものと考えられることから、このやぐらは室町期に造られたものと考えられています。 光 背 奥の壁には蓮弁型の光背が浮彫りされています。 前には基壇があって仏像が安置されていたものと考えられます。 朱垂木やぐら を下っていきます。 やがて平場になります。 崖の壁には多くのやぐらが存在しています。 やがて十字路になります。 左は西御門の住宅街、右は 回春院 。 正面はちょっとわかりません。 回春院 回春院 は、 建長寺 の 塔頭 の一つです。 回春院 を過ぎると 半僧坊 への参道です。 建長寺 https://www.yoritomo-japan.com/page138kentyoji.htm