別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2020年7月16日木曜日

源頼朝が奥州征伐の戦勝を祈願した井草八幡宮




井草八幡宮は、縄文期から祀られ、神社としての形態をととのえたのは平安時代末期といわれています。

始めは春日社を祀っていたようですが、源頼朝奥州征伐の戦勝祈願をしたことで八幡大神(やはたのおおかみ)を主祭神とするようになったのだとか。

この地域は遅野井と呼ばれていたことから、明治期までは、遅野井八幡宮と称していました。






 源頼朝御手植の松

1189年((文治5年)、源頼朝奥州平泉の藤原泰衡討伐のため出陣します。

その途次、井草八幡宮に立ち寄って戦勝祈願を行いました。

奥州征伐を成功させた頼朝は、1193年(建久4年)、井草八幡宮の境内に自らの手で雌雄二本の松を植えたのだそうです。

しかし、雌松(赤松)は明治時代に枯れてしまい、東京都の天然記念物に指定されていたという雄松(黒松)も1965年(昭和40年)の強風の被害を受け、1973年(昭和48年)に枯れてしまったそうです。

現在の松は二代目。




1973年(昭和48年)に枯れてしまった黒松を輪切りにしたもの。

黒松は、高さ40メートル、周囲5メートルの大木だったそうです。


 井草八幡宮







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