「主人公の宗助は、親友・安井から内縁の妻・御米を奪い、その罪の意識からひっそりと暮らしていたが、ある日、大家の板井から安井の消息を聞いた宗助は心を乱し、鎌倉の禅寺の門をくぐる」
というのが『門』のストーリー。
1894年(明治27年)の末、神経を病んだ夏目漱石は、円覚寺塔頭帰源院に止宿し、翌年1月10日まで釈宗演に参禅しました。
その時の体験を題材にして書かれたのが『門』。
以下、「 」内の文は、『門』から引用しています。
「山門を入ると、左右には大きな杉があって、高く空を遮ぎっているために、路が急に暗くなった。
その陰気な空気に触れた時、宗助は世の中と寺の中との区別を急に覚った。
静かな境内の入口に立った彼は、始めて風邪を意識する場合に似た一種の悪寒を催した」
夏目漱石が描くように円覚寺には大きな杉が高く聳えています。
この杉は総門をくぐったところの杉ですが・・・。
「山の裾を切り開いて、一二丁奥へ上るように建てた寺だと見えて、後の方は樹の色で高く塞ふさがっていた。
路の左右も山続か丘続の地勢に制せられて、けっして平ではないようであった」
※円覚寺の伽藍は徐々に高くなる配置。
「一窓庵は山門を這入るや否やすぐ右手の方の高い石段の上にあった
丘外れなので、日当の好い、からりとした玄関先を控えて、後の山の懐に暖まっているような位置に冬を凌ぐ気色に見えた」
※一窓庵は帰源院がモデル。
「山門の通りをほぼ一丁ほど奥へ来ると、左側に蓮池があった」
※蓮池=妙香池。
「二人は蓮池の前を通り越して、五六級の石段を上って、その正面にある大きな伽藍の屋根を仰いだまま直すぐ左りへ切れた」
そこにあるのが正続院。
『門』の主人公・宗助は、老師から・・・
「父母未生以前本来の面目は何なんだか、それを一つ考えて見たら善かろう」
と言われたそうです。
「宗助には父母未生以前という意味がよく分らなかったが、何しろ自分と云うものは必竟何物だか、その本体を捕まえて見ろと云う意味だろうと判断した」
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(東慶寺)
『門』に出てくる老師が円覚寺管長だった釈宗演。
漱石は、18年後の1912年(大正元年)9月11日、当時、東慶寺にいた宗演を再訪しています。
この碑には、再訪のときの様子を書いた『初秋の一日』と宗演の手紙の一部が刻まれています。
漱石の再訪に同道した満鉄総裁の中村是公と”連れション”をしたと思われる場所に建てられているそうです。
(東慶寺)
宗演は、1919年(大正8年)11月1日、東慶寺で亡くなっています(61歳)。
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