別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2010年11月13日土曜日

極楽寺切通(虚空蔵堂~成就院~極楽寺)

極楽寺切通は、極楽寺の忍性が開いた道とされています。しかし、開かれた時期は定かではありませんが、1298年(永仁6年)頃に開かれたのではないかと伝えられています。


虚空蔵堂
虚空蔵堂の正式名称は星井寺です。
星ノ井の伝説に残されている行基作の虚空蔵菩薩像が安置されています。
虚空蔵堂は成就院に管理されています。

日限六地蔵尊
極楽寺切通の入口にあるお地蔵さま。
善男善女が邪心を捨てておすがりすれば、
その期日までに願いを叶えてくれることから「日限地蔵」と呼ばれるようになりました。
お地蔵さまの目の届く範囲で事故が起きても大事に至らないともいわれています。

極楽寺切通
石碑には極楽寺坂と彫られています。鎌倉七口の一つ。
極楽寺開山の忍性によって開かれた道と伝えられています。
当時は、もっと高い位置を通っていました。
現在の切通は、明治以降に順次改修されてからの道です。

現在の極楽寺切通

成就院参道
日限六地蔵尊の向かいの階段は、成就院の入口です。

参道の階段を上がると由比ヶ浜の海が一望できます。
成就院は「アジサイ寺」として知られています。
アジサイの季節には「成就院御霊神社長谷寺」のコースがお薦めです。

成就院
三代執権北条泰時の創建。
古くは弘法大師が虚空蔵菩薩をまつる修行を行った霊跡と伝えられています。

石塔群
成就院の山門前から、
極楽寺切通を挟んだ向こう側の崖上を眺めると墓地があります。
現在の切通は、ここからはるか下を通っていますが、
当時は、この墓地の前面を通っていたものと考えられています。
写真は墓地内にある石塔群。

庚申塔
現在の極楽寺切通から、成就院前方の墓地に上がる階段途中にある庚申塔。
この高さを切通が通っていた時期もあったのかもしれません。
切通は大正時代にも掘下工事が行われているといいます。

成就院参道
こちらは極楽寺側からの成就院への上り口です。

成就院の山号「普明山」の石標

極楽寺切通の坂を上り終わると、正面に極楽寺の山門が見えてみます。
本来は、一直線に山門前に通じていたのかと思いますが、
現在は、江ノ電が走っていますので、朱塗りの「さくら橋」を渡って行きます。
左側にかろうじて写っている石標は伝上杉憲方墓の標識です。

伝上杉憲方墓
住宅の裏にあって見逃してしまいそうですが、
切通沿いには案内の石標が建てられています。




四方に仏像が刻まれた上杉憲方の塔
石標のある階段を入ると民家の奥に墓塔が並んでいます。
その中の七層塔が上杉憲方のもので、
隣の五層塔が憲方の妻のものだと伝えられています。
墓地の極楽寺切通を挟んだ反対側には、極楽寺の支院西方寺がありました。
そこには、憲方の妻が建てたという「憲方の逆襲塔」があったといいます。

極楽洞
江ノ電の長谷へ抜けるトンネルです。工事が難航したようですが、
明治40年、このトンネルの完成によって江ノ電は、大町までが開通しました。
このトンネルは、極楽寺側からの名は「極楽洞」ですが、
長谷側からの名は「千歳洞」というようです。

熊野新宮入口
導地蔵堂から稲村小学校方面に進みます。
極楽寺の忍性が熊野本宮を勧請して創建したと伝えられています。
関東大震災で倒壊した八雲神社と諏訪神社が合祀されています。
石標にも熊野新宮の名とともに、八雲神社と諏訪神社の名が刻まれています。

月影地蔵堂
稲村小学校奥の谷戸に入っていくと、
かつては月影ヶ谷にあったという地蔵堂があります。

月影地蔵堂裏の道を上がれば鎌倉山です。

極楽寺
月影地蔵堂から導地蔵堂まで戻って、最後に極楽寺を参拝します。
極楽寺は北条重時開基、忍性開山の真言律宗の寺院です。
忍性は多くの福祉事業に取り組み医王如来と崇められました。
極楽寺切通を開いたのも忍性であると伝えられています。
毎年、4月8日に忍性墓が特別公開されます。


鎌倉手帳
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