極楽寺切通の頂上 稲村ヶ崎は左方面です。 https://www.yoritomo-japan.com/page136gokurakuji-kiridosi.htm |
江ノ電極楽寺駅 「関東の駅百選」に認定されています。 江ノ電は、明治37年に極楽寺までが開通しました。 |
阿仏尼邸跡 息子の相続問題の訴訟で鎌倉に下った阿仏尼は、 『十六夜日記』に、「東にて住むところは月影の谷」と記しています。 江ノ電の線路沿いには「阿仏尼邸跡」の碑が建てられています。 |
針磨橋の交差点 左に折れると霊山です。 昔は頂上まで登れる道があったようですが・・・。 |
針磨橋 鎌倉十橋の一つに数えられています。 針金を磨いて針を作る老婆、または、僧侶がいたからと伝えられています。 下を流れる極楽寺川の河口は、砂鉄の採取場でした。 多くの砂鉄が採取できたため、鎌倉では鍛冶産業が発展したといわれています。 |
江ノ電の脇を歩きます。 |
持法日實法師 日實は、濱土實相寺の歴代住職の弟子で、 この地に住んで日蓮袈裟掛松を守っていたと書かれています。 |
日蓮袈裟掛松の碑 1271年(文永8年)、 龍ノ口刑場に護送される途中、 袈裟を血で汚すのはおそれ多いといって、 松の枝に袈裟を架けたと伝えられています。 |
肉の稲村亭 「線路の端に肉屋さん チンチンゴトゴト お店が見えなくなりました」 焼き豚で知られているお店です。 |
十一人塚 1333年(元弘3年)、新田義貞軍の侍大将大舘宗氏は、 極楽寺切通から鎌倉に攻め入りましたが、 稲瀬川で討死し、家来も自刃しました。 ここは、宗氏以下十一人が葬られた場所だといわれています。 |
国道134号線 左が稲村ヶ崎 右が江ノ島 |
稲村ヶ崎 極楽寺切通が開かれるまでは、 稲村ヶ崎の海沿いを通って鎌倉の出入りが行われていました。 1333年(元弘3年)、稲村ヶ崎を突破した新田義貞は、 鎌倉に雪崩れ込み、源頼朝以来、約150年間続いた鎌倉幕府を滅ぼしました。 |
鎌倉手帳
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