別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2010年11月13日土曜日

極楽寺から稲村ヶ崎へ

極楽寺切通の頂上
稲村ヶ崎は左方面です。
https://www.yoritomo-japan.com/page136gokurakuji-kiridosi.htm

江ノ電極楽寺駅
「関東の駅百選」に認定されています。
江ノ電は、明治37年に極楽寺までが開通しました。

阿仏尼邸跡
息子の相続問題の訴訟で鎌倉に下った阿仏尼は、
『十六夜日記』に、「東にて住むところは月影の谷」と記しています。
江ノ電の線路沿いには「阿仏尼邸跡」の碑が建てられています。

針磨橋の交差点
左に折れると霊山です。
昔は頂上まで登れる道があったようですが・・・。

針磨橋
鎌倉十橋の一つに数えられています。
針金を磨いて針を作る老婆、または、僧侶がいたからと伝えられています。
下を流れる極楽寺川の河口は、砂鉄の採取場でした。
多くの砂鉄が採取できたため、鎌倉では鍛冶産業が発展したといわれています。

江ノ電の脇を歩きます。

持法日實法師
日實は、濱土實相寺の歴代住職の弟子で、
この地に住んで日蓮袈裟掛松を守っていたと書かれています。

日蓮袈裟掛松の碑
1271年(文永8年)、
北条時宗の御内人平頼綱に捕らえられた日蓮は、
龍ノ口刑場に護送される途中、
袈裟を血で汚すのはおそれ多いといって、
松の枝に袈裟を架けたと伝えられています。

肉の稲村亭
「線路の端に肉屋さん チンチンゴトゴト お店が見えなくなりました」
焼き豚で知られているお店です。

十一人塚
1333年(元弘3年)、新田義貞軍の侍大将大舘宗氏は、
極楽寺切通から鎌倉に攻め入りましたが、
稲瀬川で討死し、家来も自刃しました。
ここは、宗氏以下十一人が葬られた場所だといわれています。

国道134号線
左が稲村ヶ崎 右が江ノ島

稲村ヶ崎
極楽寺切通が開かれるまでは、
稲村ヶ崎の海沿いを通って鎌倉の出入りが行われていました。
1333年(元弘3年)、稲村ヶ崎を突破した新田義貞は、
鎌倉に雪崩れ込み、源頼朝以来、約150年間続いた鎌倉幕府を滅ぼしました。


鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html


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