『新編鎌倉志』には、鎌倉十橋の勝ノ橋から巽荒神社までの道路と書かれています。
今小路の「今」という意味にも諸説あるようですが、現在では六地蔵に至るまでの道を「今小路」と呼んでいるようです。
勝ノ橋は壽福寺門前の扇川に架けられていたと考えられていますが、現在は何もなく、橋標があるのみとなっています。
鎌倉十橋の一つに数えられていました。
1200年創建の寺。
我が国臨済宗開祖の栄西の開山。
鎌倉五山第三位。
(扇ヶ谷の鎮守)
鎌倉時代の刀匠正宗(五郎入道正宗)の屋敷に祀られていた稲荷社。
坂上田村麻呂が勧請したのがはじまりという古い神社です。
巽神社前のはちみつ屋さん
五郎入道正宗の技術を引き継いだ伝統工芸です。
高野邸
鎌倉市の景観重要建築物等に指定されている建物です。
三菱銀行重役の荘清次郎の別荘として建てられた洋館。
鎌倉市役所の通りにある石柱です。
現在の御成小学校が建つ辺りは、かつては諏訪氏の屋敷がありました。
その屋敷内にあった諏訪神社は、現在、鎌倉商工会議所の横に移されています。
御成小学校の正門です。
かつては明治天皇の皇女のために造られた御用邸でした。
御成小学校の旧講堂です。
問注所は鎌倉幕府の裁判機関です。
源頼朝の屋敷内(大倉幕府)にありましたが、言い争いや喧嘩が絶えなかったことから、二代将軍源頼家のときにこの場所に移転されたといわれています。
鎌倉十橋の一つ。
問注所での裁判の結果、無罪放免となった者が渡った橋であることからこの名があります。
一方で、西行に関する伝説も残されていて、別名を「西行橋」ともいいます。
この辺りは、刑場だったのだといいます。
問注所で有罪となった者が、ここで罰せられたそうです。