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横須賀美術館の運慶展~浄楽寺の運慶仏ほか~

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和田義盛 の発願によって造立された 浄楽寺 の阿弥陀三尊像と不動明王・毘沙門天立像 三浦氏三代(為通・為継・義継)の菩提寺・ 清雲寺 の滝見観音像 和田義盛の身代わりとなったといわれる 天養院 の薬師如来像 が展示されます。 会期 2024年10月26日(土)~12月22日(日) 開館時間 10:00~18:00 休館日 11月5日(火)、12月2日(月) 観覧料 一般 1,000円 高校生・大学生・65歳以上 800円 中学生以下 無料 ※11月3日は無料観覧 浄楽寺 (横須賀市芦名) 浄楽寺 は、 源頼朝 とともに鎌倉に武家政権を樹立させた 和田義盛 が建立した寺。 「木造阿弥陀如来及両脇侍像」、「木造不動明王・毘沙門天立像」は、胎内の銘札から和田義盛の発願で 運慶 が造立したものと判明しています。 浄楽寺では3月3日と10月19日に 運慶仏 の特別開帳が行われていますが、2025年3月まで安置されている収蔵庫が改修工事のため拝観できません。 2024年秋は、横須賀美術館の運慶展で拝観ください。 清雲寺 (横須賀市大矢部) 清雲寺 は三浦義継が父為継の供養のため建立した寺。 滝見観音像は、宋(中国)から渡ってきたものと伝えられています。 天養院 (三浦市初声) 天養院 の薬師如来は、 和田義盛 が館の鬼門守護のために建てた安楽寺の本尊でした。

円覚寺開山の無学祖元と鶴岡八幡宮の神

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仏光国師(無学祖元)坐像 円覚寺 を開いた無学祖元は宋から渡来した禅僧。 来日する前のある日こと。 いつものように坐禅を組んでいると、金色の龍と青い鳩を連れ、頭には冠をつけ笏を持った神のような人が現れ、日本に来て仏法を広めてほしいと頼んだのだといいます。 その後、祖元は 北条時宗 の招きで来日。 参拝した 鶴岡八幡宮 の楼門の梁にたくさんの鳩がいるのを見た祖元は、あの時の神が鶴岡八幡宮の神だったことをと悟ったのだそうです。 そして、 円覚寺 の開山塔 正続院 には、祖元が来日する際に、舟を守護していた龍が宿したという「宿竜池」と呼ばれる池があったのだとか。 このような伝説から 「木造仏光国師坐像」 の椅子には龍と鳩の彫刻があるのだと伝えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鳩は八幡神の使い。 鶴岡八幡宮 の 楼門の掲額 の八の字は、鳩で描かれています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 洪鐘 円覚寺 の 国宝梵鐘 (洪鐘)は、無学祖元が来日する際に、舟を守護していた竜が宿したという宿竜池の底から金銅を得て鋳造されたのだと伝えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 白鷺池 無学祖元が中国の宋から日本に来たときに、白鷺となった 鶴岡八幡宮 の神霊に導かれたのが総門前の白鷺池だったと伝えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉検定過去問~円覚寺開山忌~

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開山をしのび、毎年10月3日に宋朝様式の古式ゆかしい法会が行われる寺院はどこか。 円覚寺の開山国師毎歳忌(開山忌)ではじめに一山の僧が集まって法会を行う場所はどこか。 円覚寺の開山国師毎歳忌(開山忌)で,開山像が輿に乗せられ,境内を巡堂するのは何年に一度か。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 円覚寺 の 開山忌 は10月3日。 一山の僧侶が無学祖元の塔所 正続院 の 舎利殿 に集まり、法会が行われます。 仏殿 でも盛大な盛大な法要が営まれ、4年に一度の閏年には、開山の「無学祖元像」が輿に乗せられ境内を巡堂します。 円覚寺舎利殿 舎利殿 (しゃりでん)は 正続院 の昭堂。 鎌倉で唯一の国宝建造物。 源実朝 が宋から請来したと伝えられる仏牙舎利が納められています。 開山木像 2024年は四年に一度の閏年の開山忌。 仏光国師(無学祖元)坐像 開山の 無学祖元 は、中国宋の禅僧。 八代執権 北条時宗 の招きにより来日し、 建長寺 に住しました。 のちに 円覚寺 の開山となり、北条氏をはじめとする鎌倉武士の教化に努め、我が国臨済宗の基礎を確立しました。 1286年(弘安9年)9月3日、 建長寺 で没し、仏光国師の号を賜わています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

源氏物語(光る君の物語)を冊子にした藤原彰子

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『紫式部日記』によると・・・ 1008年(寛弘5年)11月、出産のため 土御門殿 に里下がりしていた中宮 藤原彰子 は、出産後、内裏( 一条院 )への還御が近づくと・・・ 一条天皇 への手土産にするため、草子(冊子)作りを始めます。 紫式部 が書いた『光る君の物語』= 『源氏物語』 を冊子にする作業だったと推測されています。 紫式部は、夜が明けると真っ先に彰子のもとに伺候。 色とりどりの紙をそろえて、それに物語の原本を添えて書写を依頼。 一方で書写されたものを綴じるという日々だったようです。 藤原道長 も 「子を産んだ女性が寒いのに・・・」 と言いながら、薄くすかれた和紙や筆、墨などを提供。 ついには硯までも持ってきたのだとか。 源氏物語石像 (光源氏と紫の上) 様々な説がありますが、 光源氏 の父・ 桐壺帝 のモデルは 一条天皇 、母・ 桐壺更衣 のモデルは 藤原定子 とも・・・ 光源氏は 敦康親王 。 そして、 光源氏 の最愛の妻・ 紫の上 は 藤原彰子 がモデルともいわれます。 📎藤原彰子は敦康親王が東宮になることを望んでいた! ☆ ☆ ☆ ☆ ☆