『紫式部日記』によると・・・
1008年(寛弘5年)11月、出産のため土御門殿に里下がりしていた中宮藤原彰子は、出産後、内裏(一条院)への還御が近づくと・・・
一条天皇への手土産にするため、草子(冊子)作りを始めます。
紫式部が書いた『光る君の物語』=『源氏物語』を冊子にする作業だったと推測されています。
紫式部は、夜が明けると真っ先に彰子のもとに伺候。
色とりどりの紙をそろえて、それに物語の原本を添えて書写を依頼。
一方で書写されたものを綴じるという日々だったようです。
藤原道長も
「子を産んだ女性が寒いのに・・・」
と言いながら、薄くすかれた和紙や筆、墨などを提供。
ついには硯までも持ってきたのだとか。
(光源氏と紫の上)
様々な説がありますが、光源氏の父・桐壺帝のモデルは一条天皇、母・桐壺更衣のモデルは藤原定子とも・・・
光源氏は敦康親王。
そして、光源氏の最愛の妻・紫の上は藤原彰子がモデルともいわれます。
📎藤原彰子は敦康親王が東宮になることを望んでいた!
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