投稿

徳川家康ゆかりの大長寺~鎌倉~

イメージ
大長寺 は 徳川家康 ゆかりの寺。 第四世の暁誉源栄は、家康の誕生地・岡崎の 大樹寺 で修行していたことから、若い頃から家康と親交があったのだといいます。 宝蔵には、家康と父の松平広忠の位牌・家康像、北条氏康寄進という「倶利伽羅龍の図」などが安置されています。 石段の幅が広いのは、家康の駕籠が横になっても上がれるようにしたためなのだとか。 大長寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

豊臣秀吉の命で徳川家康が修繕した鶴岡八幡宮

イメージ
1590年(天正18年)、 小田原城 を開城させた豊臣秀吉は奥州へと向かう途中で 鶴岡八幡宮 を参詣。 翌年、「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」(修理の設計図)を作成させ、 徳川家康 に修理を命じています。 鶴岡文庫 に展示されている模型は、秀吉の「鶴岡八幡宮修営目論見絵図」をもとに作られています。 鶴岡八幡宮修営目論見絵図 豊臣秀吉が描かせた絵図です。 1591年(天正19年)5月14日、増田長盛・山中長俊・片桐直倫が作成しました。 この絵図に描かれている配置が、 北条氏綱 の天文再興時の 鶴岡八幡宮 の配置だったと考えられています。 源頼朝 によって設けられた 供僧二十五坊 は、室町時代には七坊にまで減少していましたが、徳川家康が 鶴岡八幡宮 の修理をはじめると、五院が復興されて十二院となっています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

清見寺:家康ゆかりの寺~梶原景時の血天井:静岡市~

イメージ
清見寺 は、清見関(関所)の鎮護のために建てられた仏堂が始まり。 今川氏の人質だった 徳川家康 が学んだ太原雪斎が中興した寺。 大玄関は 家康 の娘・振姫の寄進と伝えられ、天井板は清見関の古材で血痕が付いたもの。 血痕は、1200年(正治2年)正月20日、鎌倉を追放され上洛しようとした 梶原景時 と在地武士の合戦で付いたものといわれています( 梶原景時の変 )。 梵鐘は、1590年(天正18年)、豊臣秀吉が行った 小田原 征伐で伊豆の 韮山城 攻撃の際に陣鐘として使用されたのだとか。 清見寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

臨済寺:徳川家康が学んだ寺~静岡市~

イメージ
臨済寺 は、今川氏の菩提所で臨済宗 妙心寺 派の寺院。 少年期に今川氏の人質として駿府で過ごした 徳川家康 は、臨済寺の太原雪斎のもとで学んだのだといいます。 勅東海最初禅林 臨済寺 は、 清見寺 ・ 宝泰寺 とともに「駿河三刹」と称されました。 山門には家康が元服式を行った 静岡浅間神社 にあった仁王像が置かれています。 臨済寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆