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生田神社と生田の森~源平合戦の古戦場~

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生田神社 生田神社 は稚日女尊(わかひるめのみこと)を祀る古社。 生田の森 での戦いで奮戦した梶原景季の伝説が残された神社。 生田の森 生田神社の背後の 生田の森 は、源平合戦の古戦場。 平家の主力部隊・平知盛、重衡らが率いる平家軍が陣を張り、源氏の主力部隊・ 源範頼 軍を迎え撃った場所。 えびらの梅 『源平盛衰記』によると、生田の森の合戦の折、梶原景季は梅の枝を箙(えびら)にさして戦い、功名をあげたとのだとか。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

京都の鴨川にある源実朝の歌碑

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鴨川四季の歌碑 源実朝 桜花ちりかひかすむ春の夜のおぼろ月夜のかもの川風 兵衛 ちはやぶるかもの川べの藤波はかけてわするゝ時のなきかな 後鳥羽院 心すむためしなりけりちはやぶるかものかはらの秋の夕ぐれ 良経 霜うづむかものかはらになく千鳥氷にやどる月やさむけき 鴨川四季の歌碑は、鴨川と疎水の合流地点に架けられた田辺小橋にあります。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

源頼朝の挙兵に敵対した武将の処分

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鎧ヶ淵 (富士市) 『吾妻鏡』によると、 1180年(治承4年)10月16日、 源頼朝 は平家の追討軍と戦うため出陣。 10月19日、 伊東祐親 は伊豆の鯉名で 天野遠景 に捕まり、 三浦義澄 に預けられました。 10月20日、 富士川の戦い で平家軍が敗走すると、 10月23日、 大庭景親 ・長尾為宗​・ 長尾定景 が投降。 大庭景親 は 上総広常 に、 長尾為宗は 岡崎義実 に、 長尾定景 は 三浦義澄 に預けられています。 また、 河村義秀 は河村郷を取り上げられ、身柄は 大庭景義 に、 山内経俊 は 山内荘 を取り上げられ、身柄は 土肥実平 に預けられました。 その後・・・ 伊東祐親 は、 北条政子 の懐妊で許されますが自害。 (参考: 伊東祐親の墓 ) 大庭景親 は片瀬で斬首。 (参考: 明暗が分かれた大庭兄弟(景義と景親) ) 岡崎義実 に処分を任されていた長尾定景は、義実の申し出により許されています。 (参考: 法華経を読み続けた長尾定景 ) 河村義秀 は、斬首を命じられますが、のちに 流鏑馬 で妙技を披露して許されています。 (参考: 流鏑馬と河村秀義の逸話 ) 山内経俊 は、母の哀訴によって助けられました。 (参考: 母の哀訴に命を救われた山内首藤経俊 ) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

江間小四郎義時と八重姫~鎌倉殿の13人~

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北条義時邸跡 (伊豆の国市江間) 『吾妻鏡』によると、 富士川の戦い 後の1180年(治承4年)10月23日、 源頼朝 は、相模国府で初めての論功行賞を行いました。 北条時政 、 武田信義 、安田義定、 千葉常胤 、 三浦義澄 、 上総広常 、 和田義盛 、 土肥実平 、 安達盛長 、土屋宗遠、 岡崎義実 、工藤親光、 佐々木定綱 、 佐々木経高 、 佐々木盛綱 、 佐々木高綱 、工藤景光、 天野遠景 、 大庭景義 、宇佐美祐茂、市川行房、加藤景員、宇佐美実政、大見家秀、 飯田家義 以下の者にこれまでの領地を安堵し、あるいは新しい領地を与えたりしています。 また、 三浦義澄 を「三浦介」に任命し、 下河辺行平 を「下河辺庄司」に任命しています。 この中に 北条義時 の名はありませんが、父の時政が新しい領地を得ています。 その中には江間郷もあったはずです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 江間郷というと、 頼朝 との仲を引き裂かれた 八重姫 が嫁いだ地。 北条郷 の狩野川を挟んだ対岸にありました。 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第九話では、 八重姫 と結婚した江間次郎は善児なる人物に殺され、八重姫は頼朝の御所に仕えることに。 そして、間もなく義時が江間郷を手に入れ、江間小四郎と呼ばれるようになるはず。 第十話の予告では、 頼朝 が 義時 と 八重姫 の仲を取り持つような気配・・・ いい感じになってきました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

一所懸命の坂東武者と源頼朝~鎌倉殿の13人~

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1180年(治承4年)10月20日、 富士川の戦い で平維盛率いる追討軍を敗走させた 源頼朝 。 『吾妻鏡』によると、追撃して一気に上洛をと考える頼朝に対し、 千葉常胤 ・ 三浦義澄 ・ 上総広常 らの有力な坂東武者が反対します。 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第九話では、それでも 平清盛 の首を取りたい頼朝は、 北条時政 や 北条義時 に追撃を命じます。 しかし、時政が頼朝にこう言います。 「佐殿(すけどの・頼朝)は所領をお持ちでないのでわからねぇんだ。 坂東武者にとって一番大事なのは所領と一族。 それを守るためなら死に物狂いで戦う。 清盛が憎いからじゃねぇ~ おのが所領がかかっているから戦うまで。 その辺のところをどうか考えてやってくだせぇ~ 戦で命を張るのはわしらなんだ!」 源頼朝 の 挙兵 を援けたのは、自分の領地(農地)を守るために一所懸命だった武士団。 頼朝の時代の武士は大農場主。 一所懸命という言葉は、「農地を命懸けて守る」というところに由来しています。 「武家の世」=「所領安堵」=「農場主としての経営の安定」。 「鎌倉に集まった武士」=「頼朝に従った武士」は、頼朝に奉仕する代わりに恩賞をもらい所領を安堵してもらうことを望んでいたのです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ