別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年3月9日水曜日

源頼朝の挙兵に敵対した武将の処分


(富士市)


『吾妻鏡』によると、

1180年(治承4年)10月16日、源頼朝は平家の追討軍と戦うため出陣。


10月19日、伊東祐親は伊豆の鯉名で天野遠景に捕まり、三浦義澄に預けられました。


10月20日、富士川の戦いで平家軍が敗走すると、


10月23日、大庭景親・長尾為宗​・長尾定景が投降。

大庭景親上総広常に、

長尾為宗は岡崎義実に、

長尾定景三浦義澄に預けられています。

また、

河村義秀は河村郷を取り上げられ、身柄は大庭景義に、

山内経俊山内荘を取り上げられ、身柄は土肥実平に預けられました。



その後・・・

伊東祐親は、北条政子の懐妊で許されますが自害。

(参考:伊東祐親の墓


大庭景親は片瀬で斬首。

(参考:明暗が分かれた大庭兄弟(景義と景親)


岡崎義実に処分を任されていた長尾定景は、義実の申し出により許されています。

(参考:法華経を読み続けた長尾定景


河村義秀は、斬首を命じられますが、のちに流鏑馬で妙技を披露して許されています。

(参考:流鏑馬と河村秀義の逸話


山内経俊は、母の哀訴によって助けられました。

(参考:母の哀訴に命を救われた山内首藤経俊



富士川の戦い








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