源実朝の「祝の歌」と鴨長明
「君が代も我が代も尽きじ石川や瀬見の小川の絶えじとおもへば」 源実朝 が詠んだこの歌は、鴨長明の 「石川や瀬見の小川の清ければ月も流れも尋ねてぞすむ」 を本歌としたもの。 瀬見の小川 「瀬見の小川」は、 下鴨神社 が鎮座する 糺の森 を流れる川。 『吾妻鏡』によると、1211年(建暦元年)10月、鴨長明は飛鳥井雅経の推挙によって鎌倉に下向し、 源実朝 と何度か面会しています。 この時、実朝は長明から「瀬見の小川」の和歌について聞いたのかもしれません。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 長明が鎌倉に下向したのは翌建暦2年のことだとする説があります。 実朝が詠んだ「君が代も我が代も尽きじ石川や瀬見の小川の絶えじとおもへば」は、 『金槐和歌集』 に「祝の歌」として載せられているもの。 「院」とは後鳥羽上皇のこと。 建暦2年は、後鳥羽上皇の子順徳天皇の大嘗会が行われた年。 この歌は、長明から大嘗会のことを聞いた実朝が「祝の歌」として詠んだという説も・・・ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 源頼朝墓 『吾妻鏡』によると・・・ 鎌倉に下向した鴨長明は、 源頼朝 の命日に 法華堂 を参拝し、経を唱え、昔を思い出して涙し、一首の和歌を法華堂の柱に書き残したのだそうです。 「草も木もなびきし秋の霜消えて空しき苔をはらう山風」 (人はもとより草も木もなびいていた秋の霜(頼朝)が消え去って、塚に生えたむなしい苔を山風が吹きはらっているばかりである) 鴨長明の方丈 (下鴨神社摂社河合神社) 鴨長明は歌人・随筆家。 三大随筆の一つ『方丈記』は、 下鴨神社 の摂社 河合神社 に置かれている 方丈 の中から世間を観察して、世の無常と人生のはかなさを著したのだといいます。 河合神社 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。