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白い紫陽花から緑の紫陽花へ~鎌倉:浄妙寺のアナベル~2019/07/05

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浄妙寺のアナベル は、白から緑に変わるところ。 普通、アジサイは見頃が終わるとすぐに剪定しますが、 アナベル はその必要がないので長く楽しめます。 まだ、 アジサイ も見頃。 本堂前の庭園には、やはり川が流れそうです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~アジサイの名所~ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

アジサイの参道からハギの参道へ~鎌倉:成就院~2019/07/05

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アジサイ の剪定が終わった参道 これから咲くアジサイも。  ハンゲショウ アジサイ の次は ハギ 咲き始めています。 本堂前にもハンゲショウ ハスも ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

「佐殿」(すけどの)と呼ばれていた源頼朝

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1159年(平治元年)12月9日に起こった 平治の乱 。 信西追討の恩賞として 源義朝 は播磨守に、子の頼朝は右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)に任ぜられました。 頼朝は、この時から「佐殿」(すけどの)と呼ばれるようになります。 佐助稲荷神社 源頼朝が 畠山重忠 に命じて建立させたという 佐助稲荷神社 。 「佐助」という名には「佐殿を助けた」という意味があるのだとか・・・。 白旗神社 (鶴岡八幡宮) 鶴岡八幡宮 の 白旗神社 は源頼朝を祀る社。 「武衛殿」の額が掲げられています。 「武衛」は兵衛府の唐名。 つまり、右兵衛権佐だった頼朝のこと。 『吾妻鏡』は、1185年(元暦2年)に 平宗盛 を捕えた勲功によって従二位に叙されるまで、頼朝のことを「武衛」(ぶえい)と記載しています(その後は二品)。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 参考までに・・・ 『吾妻鏡』は頼朝のことを、1190年(建久元年)11月9日に大納言に任じられてからは「大納言家」、11月24日に右大将に任じられてからは「右大将家」、12月3日に大納言と右大将を辞してからは「前右大将家」、12月10日からは「幕下」、1192年(建久3年)7月26日に征夷大将軍の辞令を受けてからは「将軍家」と呼んでいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

源頼朝が生まれたのは尾張か?京都か?

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源頼朝誕生地 (名古屋市熱田区:誓願寺) 源頼朝 は、1147年(久安3年)、河内源氏の棟梁 源義朝 の三男として誕生。 母は 熱田神宮 大宮司藤原季範の娘で 由良御前 。 頼朝は尾張国で誕生という説が有力で、由良御前は、熱田神宮大宮司藤原季範の別邸で頼朝を産んだのだと伝えられています。 熱田神宮 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ もしかすると京都で誕生? 由良御前 の父藤原季範は、京都で生活することが多かったのだといいます。 由良御前の姉妹も京都に住んで、待賢門院や上西門院の女房として仕えていたそうですので、由良御前も京都に住んでいて、 義朝 との出会いも京都だったかもしれません。 六条堀川館跡 (京都) だとするなら、頼朝は源氏累代の館跡・ 六条堀川館 で生まれた可能性もあるのではないでしょうか・・・ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉で生まれた可能性は? 東国に勢力基盤を築いていた頼朝の父 義朝 は、鎌倉の亀ヶ谷に館を構えていました。 ただ、頼朝が誕生したのは中央に進出してからのことのようですので、鎌倉誕生説はないのかもしれません。 壽福寺 義朝の亀ヶ谷の館は、 壽福寺 がある地にあったのだといいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉:大巧寺のアガパンサス2019/07/03

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鎌倉駅から一番近い寺・ 大巧寺 のアガパンサスが見頃になってきました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆